第二部「経営判断(意思決定)」方法の失敗

悩む経営者

第一部ではコンサルティング業務におけるSTEP1「現状分析」における問題の構図を見てきました。

その過程は、医療に例えると「診察」や「健康診断」に相当し、最も重要なSTEPとご説明してきました。

医療でも同じように「診察」(現状分析)を誤ると、どのような治療を行っても上手くいかないからであります。

そして次のSTEP2「経営判断(意思決定)」は「現状分析」の結果にもとづき、どう判断していくかという過程となります。

医療に例えると「診察」や「健康診断」の結果を見て、どのような治療方針を立てていくかを判断する過程となります。

STEP1「現状分析」を見誤るとSTEP2「経営判断(意思決定)」も誤った判断を行う可能性が高くなるわけですが、例えSTEP1「現状分析」が多少間違っていても、STEP2「経営判断(意思決定)」でチェック機能が働きPDCAが回れば誤った判断を回避することも可能です。

逆にSTEP1「現状分析」が正しかったとしても適切な判断が出来ない場合やPDCAが回らなければ誤った決断を強いられることになります。

こうした視点より、第一部と同じく実際の企業経営で起きている問題をなぞりながらコロナ禍における「経営判断(意思決定)」における問題を見ていきたいと考えます。

感染したのは「ウィルス」か「不安」か

不安を抱えた人

アパレルに限らず企業経営の場において、「不安」にさらされると本来対処すべき経営課題を見誤り別のものに対処している場合があります。

とくにそれが発生しやすいのが危機を煽る情報にさらされた時であります。

この時、対処すべき対象は、本来の経営課題ではなく、「自らの不安」という状況となっていることが少なくありません。

具体的な事例で見てみましょう。

アパレル業界ではここ数年、業界の危機を煽る情報が記事、書籍などのメディアで流れていました。例えば次のようなものであります。

「アパレル業界は深刻な不況だ」

2030年アパレル企業は半分になる」

「若者は服を買わない」

EC化率を10%以上にしないと生き残れない」

マクロ的な市場データから見ても、現場の状況から見ても「アパレル業界は深刻な不況だ」とは言えない状況でありましたし、「2030年アパレル企業は半分になる」という記事にも数値的な根拠はありませんでした。

確かに服を買わない若者も増えているのは事実ですが、若者の年齢層を細分化するとそうは言えない部分もあり個人差も大きいため「若者は服を買わない」とは言えません。

若者をターゲットとして売上を伸ばしているブランドもあります。

また「EC化率を10%以上にしないと生き残れない」という発想は非常に危険で、確かにEC市場は拡大していますが、市場が拡大しているだけで利益が得られるというデータではありません。

ECでの販売は差別化しにくく価格競争にさらされやすい市場です。

運営に際し思った以上のコストもかかります。

中小企業には戦いにくい市場であり、当社でもEC市場の参入を勧めない場合が多くあります。

こうした危機を煽る情報が何故か流れやすいアパレル業界でありますが、当社ではこれらの情報に惑わされないよう、信憑性のあるデータと論拠と供に、これまでもブログにおいて情報発信をしてきました。

ご興味のある方はこちらもご覧くださいません。

2019年度 アパレル・ファッションビジネス業界は 「不況?」 だったのか」

「不況?だからこそ成長のチャンスがある。アパレル 経営の仕組み作り」

「アパレル・ファッションビジネスにおけるEC化の注意点。まず確認したい大切な事

そして、こうした危機を煽る情報にさらされると多くのアパレル企業の経営者は心理的に「不安」な状態となります。

それは無理もないでしょう。

自分達の市場が不況だとか、10年で企業数が半分になるだとか、若者の洋服離れが本当であれば将来の市場は縮小していくことになります。

「このままでは生き残れない」という「不安」にさらされるわけであります。

しかし、同じアパレル企業の経営者でも、しっかりとした企業理念と事業展開を行い、好調な会社であればこうした情報に惑わされることはありません。

業績が不安定、低調なアパレル企業の経営者ほどこうした情報に惑わされ「不安」となる傾向があります。

いま業績が悪いのは、こうした外部環境が影響しているのだと考えるようになるわけです。

さらにどこから集めてくるのか解りませんが、こうした外部環境を肯定するような情報ばかり集めるようになります。

例えば「館(入居しているSCなど)のアパレル部門は前年90%を割っている」「取引先のバイヤーが全然売れていないと言っている」「同業者の経営者が全然売れないと言っている」こうした情報ばかり集めてくるようになるわけです。

当社ではこうしたアパレル企業の経営者を何人も見てきているのですが、こうして「不安」な心理状態となると多くの場合、対処すべき経営課題を見誤ります。

具体的には次のようなことを考え始めます。

「アパレル業界は深刻な不況だ」 ⇒ 「不況ではない業種に進出するべきだ」

2030年アパレル企業は半分になる」 ⇒ 「アパレル以外に業種変更するべきだ」

「若者は服を買わない」 ⇒ 雑貨などの取り扱いを増やすべきだ」

EC化率を10%以上にしないと生き残れない」 ⇒ 「WEBショップを始めるべきだ」

異業種の方にとっては「本当ですか?」と思われることですが、右のコメント部分は全て実際に聞いてきたアパレル企業の経営者の声であります。

そして何の強みも経験もない他業種や事業にチャレンジし、案の定失敗し、投資にかけた借金だけが残りBS(バランスシート)を棄損し債務超過となるわけです。

当社はこうしたアパレル企業を何社も見てきました。

今回のコロナ禍においても事業環境の不安から「飲食店のFCを始める」「やったことのないECショップを始める」といった相談を実際に受けております。

しかし実際に考えるべき、取り組むべき本質的な経営課題は上記のところではなく次のところであると当社では考えるわけであります。

「アパレル業界は深刻な不況だ」 ⇒ 「不況でも売れる服をつくるためにどうするか」

2030年アパレル企業は半分になる」 ⇒ 「半分になっても生き残れる体力をつける」

「若者は服を買わない」 ⇒ 「買ってくれる服をつくるためにはどうするか」

EC化率を10%以上にしないと生き残れない」 ⇒ 「リアル店舗で生き残るためには」

つまり何が言いたいかと申しますと、「不安」にかられると冷静な経営判断(意思決定)を見誤るわけであります。

対処すべき対象が、本来の経営課題ではなく、「自らの不安」という状況となっているわけであります。

当社ではこうした「不安」にかられたアパレル企業の経営者からのご相談に際して、出来るだけ根拠のあるデータや論拠、また当社で実施するデューデリジェンスにて、会社の現状や、やるべき経営課題についてご説明しております。

大半の方にはご理解頂けるのですが中には「そうは言っても誰々がこう言っている」などと取り乱した様相で、ご理解頂けない方もおります。

経営課題ではなく「自らの不安」と闘っているので冷静な判断が出来ず感情的になってしまうのでしょう。

そういう方はご縁がなかったということになるわけですが、アパレル経営におけるビジネスの場においてもこうした事例が起こりうるわけであります。

さて、今回の新型コロナにおける社会的な混乱はどうでしょうか。

アパレル業界のメディア等の報道と同様に、危機を煽ると思われる報道が続いていることは皆さまも承知の通りかと存じます。

この点、先ほどのアパレル業界の状況と同じであります。

7月においては全国の死亡者数は37名、8月の死亡者は拡大しそうですが4月の状況とは違います。

8月においては救急搬送される患者、重症者、死亡者ともに熱中症の方が大きく上回っていく可能性もあります。

また、リスクの「程度」としては熱中症やその他の疾病よりはるかに低いことは第一部でご説明したところであります。

しかしながらメディアでは相変わらず次のような報道が続けられています。

理由は解りませんが何故か死者数についてはあまり報道されません。

「全国の感染者数は4日連続で1,000人超え」

「東京都の重症者は増加傾向」

7月は第二波の到来」

「病床使用数も逼迫しており医療崩壊の危機」

そして、こうした報道に継続的にさらされるとアパレル業界の経営者の事例のように「不安」にさらされていきます。

そして「不安」にさらされると本来対処すべき課題を見誤る可能性があるのではないでしょうか。

実際に次のような書籍も出版されていますのでご参考にして頂ければと思います。

「コロナ危機の社会学 感染したのはウィルスか不安か」(朝日新聞出版)

また、ある番組においてビートたけし氏が「いないお化けを皆で怖がっているような」といったコメントがこのことを物語っていると考えます。

一方、新型コロナの場合は対処できる対策が非常に限られています。

大きく分けると次の3つしかありません。これは皆さまも耳にするところかと思います。

  1. 緊急事態宣言:外出自粛、特定業種の休業要請
  2. PCR検査の拡充:濃厚接触者の隔離、クラスター対策など
  3. 新しい生活様式:マスク着用、3密回避など

そうするとこうした報道される事象に対して、いつも同じ議論がなされるわけです。

「全国の感染者数は4日連続で1,000人超え」 ⇒ 「①②③の対策を!」

「東京都の重症者は増加傾向」⇒ 「①②③の対策を!」

7月は第二波の到来」 ⇒ 「①②③の対策を!」

「病床使用数も逼迫しており医療崩壊の危機」⇒ 「①②③の対策を!」

先ほどのアパレル企業の経営者の例と酷似していませんでしょうか。

「不安」にかられると冷静な判断(意思決定)を見誤ります。

特に①の緊急事態宣言は経済(生活)や社会的ダメージが大きいことが解ってきています。

リスクの「程度」においてバランスが取れていない可能性もあります。

そして、こうした政策議論を聞いていますと、コメンテーター同士が感情的になり声を荒立てて議論している場も見かけます。これも先ほどの取り乱したアパレル企業の経営者と酷似していないでしょうか。

対処すべき対象が、本来の課題ではなく、「自らの不安」という状況ですので感情的になってしまい課題対処に対して冷静な議論が出来ないわけであります。

それではどうすれば良いのかという方もいらっしゃるかと思います。

それは第一部の「現状分析」に問題がありますので、ここで述べることは出来ません。

まずは、「現状分析」からやり直すべきでしょう。それが冷静な課題対処への一番の近道となると考えます。

アパレル経営に限らず、企業経営においても危機を煽る情報に惑わされず、冷静に経営課題に対処していくことが必要です。

また特に「不安」に駆られている時は、知らず知らずの間に経営判断(意思決定)を誤る可能性がありますので「不安」な時ほど冷静に行動したいものです。

尚、当社ではそうしたメディア等の報道やそこでの政策論争の是非を問うつもりはありません。

あくまでアパレル業界の事例と類似していると言っているだけであります。

コロナ禍の意思決定においてPDCAが回せない理由

PDCAサイクル

経営において初歩的な概念としてPDCAがあります。

学生でも知っている一般的な概念ですが一応定義を見ておきます。

PDCAサイクル(PDCA cycleplan-do-check-act cycle)は、生産技術における品質管理などの継続的改善手法。Plan(計画)→ Do(実行)→ Check(評価)→ Act(改善)の 4段階を繰り返すことによって、業務を継続的に改善する」wikipedia

当社では、このPDCA概念は企業経営にとって実に奥の深く重要な概念だと考えています。

しかしコンサルタントとして日々、企業を見てきた中で、本当の意味でPDCAが回っている企業を見たことはありません。

「いやいや、当社はちゃんとPDCAをしているよ」という方が殆どだと思いますし、実際に経営者自身もPDCAが回せていると認識していることが殆どです。

しかし実際にPDCAを回しているよという会議などを見てみると殆どの会社ではやはり回っていないのです。

それは何故かというとPDCAには回しやすいものと回しにくいものがあるからです。

PDCAの回しやすいもののとしては「数値」。

例えば今月の売上高、どの営業部がいくらで、どの担当者がいくらで、なぜ数値が達成できていたのか、出来なかったのか、こんなところは比較的に回しやすいところです。

次に明らかに回しにくいものがあります。

例えば「情熱」や「信頼」こうした言葉は実際にビジネスや会議の場でも使われたりします。

営業は「信頼関係」だなんて言葉も営業会議で言われたりします。

しかしこうした「情熱」や「信頼」はPDCAが回るでしょうか。

自分は情熱を持って仕事をすると計画して実行しても、それをチェックして、改善することは難しいでしょう。

なぜPDCAが回せないかというと「目に見えないもの」「概念的にとらえにくいもの」こうしたものはPDCAが回しにくいのです。

次は当社の持論でもあり専門分野の一つでありますが、PDCAを回しやすい順に並べたものです。

  1. 数値的要素:売上、原価、利益、客単価、不良率といった数値化できるもの
  2. 概念化しやすいもの:経営戦略、事業戦略、マーケティング戦略など
  3. 技術や技能的なもの:加工技術、営業話法、接客話法などの熟練に基づくもの
  4. デザインや世界観:デザイン、コンセプトや世界観、感性と言われる領域
  5. 情緒的なもの:「信頼」「情熱」など

このうち1は先ほどご説明した通りです。

2も概念定義をしっかり行えばPDCAは回ります。

3~4はそのままではPDCAは回りません。

「概念化」「見える化」しにくい暗黙知やイメージの領域であるためです。

5はどうやってもPDCAは回ることがないでしょう。

なぜならその事象の本質が感情にもとづくものだからであります。

ちなみにアパレル業界は「感性の業界」とも言われており④が非常に重要なビジネスでもあります。

しかしこうした理由でビジネスの重要な要素である「感性」のPDCAが回りにくいビジネスでもあります。

そのため時代の流れやトレンドに対応できないブランドや、ショップが業績を悪化させる場合が多々あります。

また特定のデザイナーやディレクション担当が抜けた時に一気に業績が悪化する場合もあります。

ビジネスの重要要素の「感性」のPDCAが回らず、個人に属人化しやすい領域であるためこうした事象が生じるわけであります。

そのため当社は、この「感性」をFormulation概念化、見える化)」してPDCAを回す手法として、「アパレルFDCA経営®」というコンサルティングメソッドを提唱しております。

アパレルビジネスにとって重要な要素であるがPDCAが回りにくい「感性」を「Formulation概念化、見える化)」して、経営レベルでPDCAを回す概念であります。

ちなみにFDCAFFormulation(概念化、見える化)となっておりアパレル企業版のPDCAの概念となります。ご興味がございましたらこちらをご覧ください。

「アパレルFDCA経営®セミナー」

話は少しそれましたが、PDCAの観点から見た場合の「コロナ禍」はどうでしょうか。

こちらも一部の専門家が言われるようにPDCAが回っていない状況にあるようです。

日本での感染が拡大し始めた2月の時点では全く未知の感染症でした。

4月の緊急事態発出時点においては、政府の専門家会議における感染症の専門家により85万人が重症化し、42万人が死亡する恐れがあると発表されました。

この死亡者の数は、第一部でご説明したところの日本人の死因第一位「がん37万人」を超える数値であります。

日本の死因第一位となる恐れのある感染症ですから政府の対策も莫大なものとなりました。

予算だけで言えば新型コロナ対策の補正予算は第1号、第2号補正予算を含め57.6兆円となります。

この規模はリーマンショック時と東日本大震災時の対策費を合わせた額に相当します。

また国の税収62.5兆円(H31年度)とほぼ同額の予算となります。

国の税収1年分の予算をコロナ対策で使っているわけであります。

そしてその財源は赤字国債(借金)となっています。

この点については第三部(対策編)にてご説明します。

42万人が死亡すると予想された「程度」の危機でありますのでこうした対策は国としてもやむを得ない判断だったのだと考えます。

しかし実際はどうでしょうか。

新型コロナの死亡者は1093人(815日時点)で予想の40分の1となっています。

その数値から見ると新型コロナのリスクの「程度」はインフルエンザの1/3

高齢者が食事をしているだけでさらされる誤嚥で死亡のリスク(誤嚥による窒息、肺炎)の45分の1という結果となっています。

また7月の死亡者は37名と4月より減少傾向にあります。

しかしメディア等の報道では相変わらず次のような報道が繰り返されます。

「まだまだ感染が拡大している」

「必ず第三波、第四波がくる」

「ワクチンが開発されるが完全に効くか解らない」

「深刻な後遺症も確認されている」

そして、前項で説明した3つの対策(緊急事態宣言、PCR検査の拡充、新しい生活様式の徹底)の必要性が説かれるわけであります。

表現は悪いようですが「ああいえばこういう」状態で、ウィルスのいないクリーンな世界になるまで終息しない状況に見えます。

冷静にリスクの「程度」や対策にかかる「費用(予算)」を見てPDCAを回せばこうした主張は出てこないのですが言っていることは4月時点と殆ど変わりません。

実際に4月のような緊急事態宣言をあと数回発出すれば新型コロナの感染拡大の前に国の財政は破綻し国そのものの存亡の危機にさらされるでしょう。

このことから、コロナ禍において社会的なPDCAが回っていないように見えるわけですがそれは何故でしょうか。

勘の良い方であればお解りだと思いますが、新型コロナで対処したい問題はウィルスによる脅威ではなく、「不安」だからです。

「不安」は情熱や信頼と同じく情緒的なものです。

そのためPDCAは回らないわけであります。

情緒的なものはどのようにしてもPDCAは回りません。

冷静に考え、リスクの「程度」に応じた対策をいくら打ち立てたとしても闘っているのはウィルスではなく「不安」ですのでPDCAは回らず反省もないため、いつまで経っても「不安」は解消されないわけであります。

そのため「ワクチンが開発されても完全に効くか解らない」といった声も聞こえてくるわけであります。

インフルエンザですらワクチンが完全に効くわけでもなく当然と言えば当然なのですが不安が消えることは無いわけであります。

「不安」にワクチンは効かないとうわけであります。

かくして日本社会における「コロナ禍」はPDCAが回らず、先ほどの主張が繰り返されると言うことが出来るのではないでしょうか。

当社(有馬)はこうした状況に対して良いか悪いかの価値判断をするつもりはありません。

あくまでもPDCAが回りにくいアパレル企業の状況と酷似していると言っているわけであります。

アパレル企業に限らず企業経営における経営判断(意思決定)において、見えにくいものを「見える化」してPDCAを回していくこと。情緒的なものはPDCAが回りにくい点を覚えておいて頂ければと考えます。

予算概念のない経営判断(意思決定)は寝言

経営戦略などの重要な経営判断において「一般的に正しいこと」「道徳的に正しいこと」が会社全体にとって正しいとは限りません。

「また特定の専門領域だけで正しいこと」が会社全体にとって正しいとも限りません。

なぜなら会社には予算、費用というものがあり、「一般的に正しいこと」「道徳的に正しいこと」が予算制約の中で実行出来るか限りませんし、特定の専門領域だけで会社という組織が回っているわけではないからです。

「一般的に正しいこと」「道徳的に正しいこと」は経営学の授業などで「お勉強」することは可能です。

世の中にはこうした経営学を勉強された方は多くいます。

大学の経営学部で学んだり、MBAや中小企業診断士といった資格を取ったり、そういう方は五万といるでしょう。

しかしそれらの方が優秀な経営者となり事業に成功すると言えるでしょうか。

当社(有馬)も中小企業診断士という資格を持っていますがその「お勉強」の大部分は経営コンサルタントの現場では役に立ちません。

それは何故でしょうか。同じ業種、業態の企業でも置かれている状況はその会社により異なります。

社員構成も違いますし一人一人の能力にも特徴もあります。

また資金的にも置かれている状況は違います。人材と資金といった制約のなかでやるべきことが異なるからです。

そしてこの中でも最も制約を受けるのは「予算」です。

なぜなら「予算」がなければ結局何もできないからです。

企業経営においてもどんなに立派な戦略も、道徳的に正しいことも、特定の専門領域で正しいことも、実行する「予算」が無ければ机上の空論です。

経営判断をサポートするコンサルタントにとっても同じです。

「予算」概念がないコンサルタントは、特に中小企業においてはどんなに立派な助言を行っても「言っていることはわかるけど当社では出来ません」となってしまいます。

つまり、どんな経営判断(意思決定)においても「予算」概念は必須ということです。

実際の場面をみてみましょう。

アパレル業界においては昨今、「EC化率」というのが話題になっています。

EC化率」とはその会社における全売上に占めるEC販売の比率です。

どこから出てきた基準か分かりませんが「EC化率」は10%以上が望ましいと言われています。

そしてその背景にあるのはEC市場の拡大です。

アパレルや衣料ではECの市場規模が毎年5%以上伸びていることを背景にしています。

こうしたところだけを見れば「EC事業部を立ち上げてネット販売を増やしましょう」となります。

この判断自体はこうした外部環境を見る限りでは間違ってはいないでしょう。

このようにアパレル業界における「EC化率」は確かに無視できない外部環境です。

そのためアパレル企業の経営会議や営業会議の場において、「当社もEC事業を立ち上げるべきか」といった意見を聞くことはめずらしくありません。

「外部環境への対応」と言う意味で間違っていませんし、「一般的に正しいこと」と言えることができます。

しかしこうした意見をいう担当者の中には「予算」概念がない場合も多々あります。

当社(有馬)や別の役員から「ではEC事業の立ち上げにいくらかかるのか」と言われると黙ってしまうわけであります。

自社のECサイト一つ立ち上げるのも簡単な話ではありません。

ビジネスとして採算ベースに乗せるまでに多くの費用とコストがかかります。

サイト全体のデザイン、サイト構成、決済機能の付与、これらは専門知識がないと出来ませんので外部のサイト構築企業に制作を委託することになります。

その委託に際し、専任の担当を配置しなくてはなりません。

またECサイトが立ちあげても勝手に売れていくわけではありません。

訴求力の高い商品画像、コーディネート画像をアップするには、撮影場所と画像を撮影して投稿するスタッフが必要です。

一人では出来ませんので最低でも23名のスタッフを配置することが必要です。

ECサイトでは掲載している商品量も重要ですが実際に撮影と投稿作業をしていくと23名の人数で1日に5商品位のアップしか出来ません。

そうすると1ヶ月の売上はこうした商品掲載量にも規定されていきます。

また実際に商品をアップすれば売れるわけでもありません。

実際にECショップに来てもらわなければならないのでGoogleなどの検索サイトや、SNSに広告を打たなくてはなりません。

この広告宣伝費の負担は思っている以上に大きく、商品やサイトにもよりますが、売上高の20%を超える場合もあります。

アパレル商品の原価率はメーカーでは30%前後、仕入の小売では50%前後ですのでECサイトでの広告宣伝費は売上総利益を大きく圧迫していきます。

リアル店舗と同じで、固定客(リピーター)が一定数増えないと広告宣伝費がかさみなかなか採算ベースに到達しないわけであります。

また、ECサイトは価格競争に陥りやすいというデメリットもあります。

同じ商品を他のECサイトでも掲載していれば安いショップで買うことになるからです。

リアル店舗であれば「接客」や「コーディネート提案」でこれらを回避することは出来ますがECサイトでは難しくなります。

こうして見るとEC市場が伸びているからと言って中小企業が安易に参入できるビジネスではなく、市場が伸びているからと言って利益が出るとは限らないわけであります。

次はEC事業の立ち上げに際してかかる「予算」コストです。

ECサイト構築の初期費用

・専属スタッフの人件費(固定費)

・毎月の宣伝広告費(ほぼ固定費)

・固定客が出来るまでの赤字の期間の資金流出

EC事業部を立ち上げてネット販売を増やしましょう」という提案者は、売上計画と、これらのコストを試算した計画を提示しなくてはなりません。

なぜなら予算概念のない「一般的に正しいこと」はビジネスの場においては寝言に過ぎないからです。

もしこうした予算概念のない方を意思決定に加えると、限度額ないクレジットカードを子供に持たせることと同じとなります。

これは企業経営に関わらず自分で商売を行う方であれば容易に理解できるところではないかと考えます。

新型コロナの対応についてはどうでしょうか。

メディア等の報道において、有識者やコメンテーターが次のような意見が出されているのをよく耳にするところです。

「緊急事態宣言の再発出を!」

「十分な補償をしたうえでピンポイントの休業要請を!」

これらの意見を唱えるのは自由なわけですが、ではその対策にいくら「予算」がかかるのかといった見解や議論を聞いたことがありません。

これらの意見は新型コロナの感染防止といった専門領域で考えるときに間違っていない「一般的に正しいこと」「道徳的に正しいこと」であると考えます。

しかし企業経営における経営判断(意思決定)と同じように社会全体にとって最適解とは限りません。

なぜなら「予算」概念が無いからであります。

ここで緊急事態宣言の発出(47日~531日)によりいくらの「予算」がかかっているのかを見てみたいと思います。

次は、新型コロナ対策となる令和2年度の補正予算(第1号、第2号)の概略を財務省公表の資料よりまとめたものであります。第1号、第2号の総額は57.6兆円となります。

予算表

このうち赤字部分の367,640億円が、緊急事態宣言による自粛や事業者の休業要請により悪化した企業の資金繰り、家計を支援するものです。

全世帯一律10万円の定額給付金、事業者へ最大200万円の持続化給付金、日本政策金融公庫、保証協会などのコロナ特別貸付枠や利子補給、飲食店などの家賃給付金、企業が休業した際に従業員への給与支給を補填する雇用調整助成金といった内訳となっています。

つまり、緊急事態宣言による2ヶ月弱の自粛や事業者の休業要請により367,640億円の「予算」が必要となるわけであります。

この規模はどのくらいかと言いますと、政府の2020年度当初における社会保障費が35.9兆円ですので1年分の社会保障費とほぼ同額の予算がかかるわけであります。

また1年分の防衛費が5.3兆円ですのでその約7倍の予算がかかるわけであります。

そしてこの「予算」は赤字国債(借金)で賄われています。「予算」が赤字国債(借金)で賄われている以上、誰がいくら負担するのかといった増税も含めて考えていかなくてはならないことになります。

先ほどのアパレル企業の事例でも、EC事業立ち上げに関わるコストを借入で補うのであればその返済条件も同時に考えていかないわけであります。

さらにこれらは国の「予算」だけを見たものです。

社会全体でみた場合、この他にも企業の倒産、失業者の増加、GDPの減少といった社会的なコストも加えて考えなくてはなりません。

確かに「緊急事態宣言の再発出を!」と唱えることは新型コロナの感染防止といった専門領域で考えるときに「一般的に正しいこと」「道徳的に正しいこと」であるかもしれません。

しかしリスクの「程度」に対してこれだけの国の予算、つまりは国民の税金を投入するかも同時に「予算」と数値で議論していかなければ、先ほどの「予算」概念がない中で「EC事業部を立ち上げてネット販売を増やしましょう」と説くアパレル企業の担当者と同じと言えないでしょうか。

つまりどんなに「一般的に正しいこと」「道徳的に正しいこと」であっても寝言に過ぎないというアパレル企業の担当者の事例と同じになってしまうと言えないでしょうか。

同様に感染が拡大している特定業種や地域に対して「十分な補償をしたうえでピンポイントの休業要請を!」といった意見に関しても、新型コロナの感染防止といった専門領域で考えるときに「一般的に正しいこと」「道徳的に正しいこと」であるかもしれません。

しかしこの場合もその対策にいくら「予算」がかかるのかといった見解や議論を聞いたことがありません。

当社(有馬)はこうした主張に対して良いか悪いかの価値判断をするつもりはありません。

あくまでも「予算」概念のないアパレル企業の担当者の事例と状況が酷似していると言っているわけであります。

アパレル企業に限らず企業経営における経営判断(意思決定)では、「予算」概念のない方を議論に加えても意味がありません。「一般的に正しいこと」「道徳的に正しいこと」が会社全体にとって正しいとは限らないからです。

重要な経営判断においては「予算」概念を持ち議論していくことが必要です。

「コンフリフト」表面的な対立と、その裏にある対立

対立する二人

次は経営判断(意思決定)におけるコンフリクトのお話です。

一応言葉の定義もしておきます。

「相反する意見、態度、要求などが存在し、互いに譲らずに緊張状態が生じること。対立、軋轢」(gooMBA経営辞書)

皆さまの会社でも、製造部対営業部、製造部長対品質管理部長といった部門間の対立は経験したことがあると思います。

アパレル企業においても、企画部対営業部、本部対店舗といった対立構造をしばし見かけます。

そしてその対立は、「実質的問題」と「感情的問題」に起因して発生します。

「実質的問題」とは、事業運営上の意見の食い違いです。

例えば事業戦略や予算配分などでの対立が上げられます。

「感情的問題」とは個人的感情にから起因する対立です。

例えば過去に左官されたとか、その人個人が気に食わないといった感情から対立が起こる場合です。

そして、「感情的問題」は会社組織内では表面に出しにくいため「実質的問題」にすり替えられる場合もしばしあります。

例えば、役員会などにおいて、どんなに内容が良い稟議でも、お互いに犬猿の仲である役員の意見や稟議は、何等かの理由をつけて否定してくるといったケースです。

こうした場合、いくら客観的なデータや根拠に基づいて説明しても対立関係は解消せず、意見や稟議は採用されることは難しくなります。

なぜなら対立しているのは「実質的問題」としての役員会の議案ではなく、「感情的問題」としての個人的な感情だからです。

議案は正しいかもしれないが、やつの稟議には絶対に賛成しないというわけであります。

そして企業経営にとって問題となるのは、こうしたコンフリクトが発生すると、会社組織として会社全体の利益や将来を考えた経営判断(意思決定)が出来なくなるということです。

足の引っ張り合い、派閥抗争などが生じ会社全体の利益を考えた経営判断(意思決定)が出来なくなる場合もあります。

こうしたコンフリクトはサラリーマン社会ではしばしみられる光景です。

具体的な例をみてみましょう。

今回は皆さまもご存じの「半沢直樹(第二期)」のドラマでご説明いたします。

当社(有馬)も銀行勤務が長かったのですが、もともと銀行という組織はコンフリクトが発生しやすい構造にあります。

半沢直樹のドラマほど極端な対立はないわけでありますが、ある意味、銀行内の対立関係において組織の均衡を守っている組織なのです。

それは銀行の支店や営業部と、審査部といった本部組織の関係で現れてきます。

支店や営業部は融資を集めるところです。

中小企業に出向きお金を借りませんかと融資を集めるところです。

審査部は支店が集めてきた融資案件を審査し融資の可否を決定するところです。

支店の稟議書や決算書を分析し、融資判断を決裁します。この融資判断において与信判断が甘いと、融資額は増えますが、後に不良債権となる可能性が高くなります。

逆に与信判断が厳しすぎると融資案件の決裁が下りず中小企業への融資は行えなくなります。

そして、与信判断が厳しいと融資実績が伸びないので支店や営業部の評価に影響します。

逆に与信判断が緩いと、不良債権が増え、その案件を決裁した審査担当者の評価に影響します。

こうしたことから、支店は融資案件の稟議を出来るだけ通したい、審査部はリスクの高い融資案件の稟議はできるだけ否決したい、といった業務上の対立関係におかれることになります。

半沢直樹のドラマではこのあたりの対立はあまり表面には出てこないのですが、大体の銀行組織において支店と審査部は緊張関係にあり、人間関係的にも仲がよろしくない場合も多々見られます。

さて、半沢直樹のドラマの場合、半沢氏と大和田氏はお互い許すことのできない相手です。

半沢氏は親父を貸し渋りで殺されていますし、大和田氏は役員会議の中で土下座をさせられています。

二人の間に明確な「感情的問題」による対立があることは明らかです。

しかしながら銀行という職場ですので、さすがにお互いの感情で直接的に戦うことはありません。

どのような場において戦いが起こるかというと、二人が関係する個別事案です。

今回のドラマでは、スパイラルの企業買収案件、帝国航空の再建案件にてその対立が起こります。

表面的には前作に比べて二人の対立関係にはないのですが、大和田氏は隙を見せれば半沢氏を蹴落とそうとしているのは見ていて明らかでしょう。

また大和田氏と、三笠氏の役員間の対立も同じことが言えます。

今回のドラマにおいては、本来は銀行全体の利益を最優先に考えるべきスパイラルの企業買収が、この役員二人の役員闘争にすり替わっているわけであります。

つまり大和田氏も三笠氏も銀行の利益ではなく、自らの利益と相手を潰すという目的を優先し戦っているわけです。

そこを正すのが熱血正義の味方の半沢氏ということになります。

半沢氏と大和田氏の対立を例にとると次のような構図にあるわけです。

(半沢氏と大和田氏の対立)

実質的問題: スパイラルの企業買収、帝国航空の再建案件における対立

感情的問題: 半沢氏は親父を殺された 大和田氏は土下座させられた感情対立

この場合、本質的に対立しているのは二人の「感情的問題」ですので、「実質的問題」で二人が協調することは考えにくいことになります。スパイラルの買収案件については最後に二人で協調することになりますが、半沢氏が持ちかけた協調案に際し、地下の駐車場で大和田氏があれだけ抵抗感を示したのは「感情的問題」が背景にあるからです。

新型コロナ対策の場合はどうでしょうか。

政治、社会情勢的に次の対立があるように見えます。

「政府 対 マスコミ」「政府(与党) 対 野党」「政府 対 一部の知事」。

このうち「政府(与党) 対 野党」、「政府 対 一部の知事」は今日に始まったことではなく、政策や政治思想の違いにて対立するのは政治の世界では当然かと思います。

興味深いのは情報発信をめぐり「政府 対 マスコミ」で対立が生じているように見えるところであります。

次の画像は内閣府の公式Twitterと、政権与党の公式Twitterです。

民間マスコミ番組の固有名詞を上げ細かい発言にまで内閣府や、政権与党など政府側の反論?がツイートされています。

他にも厚生労働省の公式Twitterでも新型コロナにおける民間報道への反論?と思われるツイートが投稿されています。

つまり民間マスコミの報道に対し、内閣府、政権与党、各省庁と一体となって反論?を繰り広げているわけであります。

他国でも同様に新型コロナにおけるこうした政府の情報発信はなされている国もあるようですが、これまでに見たことのない光景であると言えます。

twitterの投稿

そうした光景をコンフリクト的観点から見ると違う景色も見えてくるように感じます。

相変わらず「感染が拡大している」「重傷者が増加している」「クラスターが発生した」といった報道が日々なされているわけでありますが、その情報発信の最後に次のような批判を付け加えている場合が少なくありません。

それは「政府の新型コロナ対策は不十分」「対策のスピードが遅い」「今の政府の対応では大変なことになる」といった批判であります。

番組やコメンテーターにより温度差はあるわけですが皆さまもお聞きになっているフレーズかと思います。

またGOTOトラベルのような個別政策に際しても、視聴者のアンケートや、街の声といった情報を集め、「まだ早すぎる」「政府は感染症対策より経済対策に前のめり」といった論調で批判するわけであります。

さらにコロナ禍における個別中小企業支援策においても次のような批判と思われる報道がなされるのを目にしたことがあります。

・持続化給付金の手続きは煩雑で多くの中小企業が困っている

・雇用調整助成金は事務手続きが煩雑で中小企業には活用しにくい

・休業要請における補償額が少なすぎる

・国の緊急融資制度は書類上の手続きが面倒で利用しにくい

中小企業を支援する専門家の立場からすれば、必ずしもそうとも言えず、政府の支援策で救われている中小零細企業も多々あるのも事実です。

特に経済産業省の中小企業政策はコロナ禍以前より、創業支援、事業承継支援、小規模事業者支援、設備投資支援など充実しており、国として中小企業を発展させるという強い姿勢が感じられます。

コロナ禍における中小企業支援においても何としても中小企業を守るという姿勢が現場でも感じられます。

金融庁の中小企業支援においても同様であります。

マスコミの情報発信をめぐり、政府との間にTwitterで見るような対立が生じているわけでありますが、この対立の内容は、一見「実質的問題」に起因しているように見えます。

新型コロナ対策における政策、対応への批判ですから見た目は、「実質的問題」となるわけであります。

しかしこれらの批判は本当に「実質的問題」からきているものなのでしょうか。

仮に「感情的問題」から生じているものと類推するとどう考えられるでしょうか。

マスコミの場合、いくら何でも個人的な感情はないと考えますが、政治的な思想が絡んでいた場合、こうした何らかの理由により政府批判をしたいモチベーションがある場合、そうした「感情的問題」が「実質的問題」にすり替えられる可能性があると言えないでしょうか。

ここからは当社(有馬)の勝手な類推です。

「感情的問題」により、マスコミ側に最初から政府批判を目的とした情報発信の意図があれば情報の真偽に関わらず報道は過熱していきます。

なぜなら視聴者に不安を与え、その不安の矛先を政府に向けることが出来れば、世論を通じた政府批判を行うことが可能だからです。

つまり論じたいのは新型コロナ対応といった「実質的問題」ではなく、政府けしからんという政府批判「感情的問題」というわけであります。

そのように考えると次のような報道内容の理由も理解できるところであります。

・リスクの「程度」からみると釣り合いがとれない過剰な情報発信

・危機や不安を煽るような情報発信

・芸能人などを使った感情的な情報発信

・事実とは少し違う個別政策への批判

・一方で政府の対応を称賛する報道が皆無であること

そしてもしこの類推が正しかったとすると、マスコミ側にとって新型コロナは最高の政府批判の材料となります。

なぜなら「政治とカネ」といった問題とは違い、新型コロナは人の命が関わっていますので、「国民のいのちを大事にしない政府」といった絵を描くことが可能だからです。

第一部で説明しました「いのち か 経済か」といった論理的には破綻したロジックで議論を展開するのもそうした理由からと考えることも可能かもしれません。

つまり何が言いたいかといいますと、コロナ禍における情報発信上の対立が、半沢氏と大和田氏に事例のように、「感情的問題」が「事実的な問題」にすり替わっている構造に類似しているということであります。

まとめると次のような構図になります。

(政府とマスコミの対立)

実質的問題: 新型コロナ感染症対策をめぐる政策批判

感情的問題: 本当は何らかの理由により政府批判をしたい

「感情的問題」がコンフリクトの根底にあったと類推した場合、新型コロナの実際のリスクの「程度」や感染状況に関係なくこうした情報発信による政府批判が続くわけであります。

ちなみに安部総理の辞任を表明した828日以降、マスコミの報道は次の首相が誰になるかといった話題で賑わっています。

一方で何ら状況の変わっていないにも関わらず新型コロナの報道は息をひそめてしまいました。

国にとって本当に重要な問題が新型コロナ対策といった「実質的問題」であればこうした状況にはならないはずと考えます

当社ではマスコミを批判するわけではありませんし当社の勝手な類推も含まれます。

また何が正しいかといった価値判断を議論はするつもりはありません。

あくまでもコンフリクトの内容が、半沢直樹のドラマにみるような構造に似ているのではないかと言っているわけであります。

企業経営においても、こうした「感情的問題」に起因するコンフリクトが「実質的問題」にすり替わると経営課題への対応が難しくなります。

また会社組織として会社全体の利益や将来を考えた経営判断(意思決定)が出来なくなる場合があります。

そうならないよう、社内のコンフリクトには常に目を向けることが必要です。

難しい議論ほど脱線しやすく脱線した先で時間を浪費する

退屈な会議

次は会議などにおける意思決定の議論についてです。

会議やミーティングの場で本題の議論から脱線し、余計に時間を浪費した経験したことはあると思います。

そして脱線した先にある議論は比較的誰もが参加しやすいものであることが殆どです。

特に本題の議論についての知識が薄く、解りにくい時にはこうしたことが起こりやすくなります。

その理由は、議論の目的や重要度とは関係なく、知識の薄いこと、解りにくいことは議論がしにくく、誰もが知識のあることほど議論がしやすいからです。

会議においては解りにくい問題から、解りやすい問題に脱線しやすいという法則があるわけであります。

また、脱線した先にある議論は結論に時間がかかるという傾向があります。なぜなら議論への参加者も増え、知識がある分、議論が活発となり結論が出にくいからです。

会議においては解りにくい問題ほど早く決まる。逆に誰もが知識を持ち解りやすい問題ほど多くの議論がなされても決まらないという法則があるわけであります。

そして、こうして議論を脱線していくと、経営資源としての「時間」を余計につかい、重要な本題の議論が進まず迅速な経営判断(意思決定)が出来なくなる場合があります。

具体的な事例で見ていきましょう。

あるアパレルセレクトショップチェーン店でのコンセプト会議の様子です。

この会議の目的はあるショップのコンセプトを見直し業績を改善することにありました。

コンセプト会議では、そのお店の世界観、イメージターゲットのライフスタイル、商品構成、価格帯などを決めていきます。

コンセプトは、数値や言葉で表現しにくい領域であるため会議、ミーティングとしては議論しにくい議題です。

世界観やデザイン、コンセプトについて理解している一部のスタッフにより、イメージターゲットが高すぎだとか、世界観がガーリーに振れすぎだとか、トレンド要素が少ないといったアパレル特有の一見ふわふわした議論が進んでいきます。

こうした議論の中で、これまで無口であったマネージャーが突然声をあげます。「問題なのはコンセプトではなく販売員のやる気だ、まずはそこから変えていかなくてはならない」

さらには、具体的な販売員の個人名を上げて、Aさんはこうだ、Bさんはこうだからダメだと始めます。遅刻や勤務態度、接客での失敗事例をあげながら具体的に話し始めるわけであります。

すると今まで議論に参加していなかったAさん、Bさんを知る別の方も同調し、あの時はこうだった、この時はこうだったといった意見を語り始め会議は盛り上がっていきます。

そして本来の会議の目的ではない、「販売員のやる気」問題も結論が出ることがないわけであります。

当社(有馬)こうしたアパレルビジネスにとって重要な会議に参加することは少なくありません。

似たような光景を何度も見てきました。その中で都度軌道修正していくわけではありますが、なぜ本来の議題を外れこうした議論に陥っていくのでしょうか。

それは本題である「ショップコンセプト」についての知識が薄く、解りにくい反面、横道に逸れた「販売員のやる気」については解りやすく誰もが知識を持ち参加しやすいからであります。

また脱線した先にある「販売員のやる気」問題は、逆に誰もが知識を持ち解りやすい問題であるため議論は盛り上がるが結論が出ないわけであります。

皆さまの会社でも思い浮かぶ事例があるのではないでしょうか。

当社では、感情を吐き出させて冷静な状態にするためにあえてこうした議論を見守る場合もあります。

しかし最終的には本題の議題に戻し、しかるべき的確な意思決定に導くのが当社のようなコンサルタント仕事であるわけです。

さて、新型コロナにおける議論ではどうでしょうか。有識者や専門家を招いたメディア等での討論でもこうした事象が確認されます。ここでは2つの事例をご紹介したいと思います。

それは、9月入学制度と、ギャンブル依存症についての議論です。以下その内容をご説明いたします。

1)学校における9月入学制度の導入

9月入学制度の導入は新型コロナによる休校で、学生の不足する授業時間を確保する方策として浮上した議論であります。

この制度導入のメリットは、休校により不足している授業時間を確保できる、世界的な入学時期と合わせることで留学が進みグローバル化が進むといったことが言われています。

一方でデメリットは、移行期間における学業と学費負担の問題、新卒採用など産業界との調整が困難といったところが言われています。

緊急事態宣言下、こうした議論の報道が多くなされ短期間ではありますが国民的な議論となっていたのを覚えている方もいらっしゃるかと思います。

この議論が浮上したのは緊急事態宣言の最中である5月上旬でありました。

発端は高校生のTwitterでの投稿や署名活動だったようですが、SNSでは学生や主婦といった方々まで議論に参加し、マスコミ等でもこの議論が盛り上りをみせていました。

これらの議論の経緯についてはWikipedia9月入学)に次のように詳細に記されています。緊急事態宣言の中、短期間で実に多くの議論がなされていたことが伺えます。

wiki引用

政党や、各都道府県知事、文部科学省といったところで多くの議論がなされたようですが、後半は日本PTA全国協議会、日本教育学会、全国連合小学校長会、大学などの教育現場から拙速な議論に反対の声が上がり見送られ議論は終息していきます。

ある報道番組では、コロナ問題では発言が控えめであった女性コメンテーターが、この話題になった途端、ここぞとばかりに知識や見解を熱く語っていたのを覚えています。

そして「子供達に国際社会に対応したグローバルな教育環境を残すのは大人の責任」と豪語していたのも覚えております。

気持ちは解りますし間違ってはいないと考えますが、「今ではないだろ」というのが教育現場の声だったのだと考えます。

なぜこうした現象が起こるのでしょうか。それは多くの国民にとって新型コロナへの知識は薄く、解りにくい反面、9月入学制度は解りやすく、議論に参加しやすい論点だからであります。

子供を持つ主婦でも、実際の学生でも議論に参加することが出来ます。

また議論に参加するコメンテーターの方々もよく勉強されており細かい部分まで知識を持たれた教育関係の議論が大好きな方も多くいます。

しかし、この議論はコロナ禍以前の10年前からなされてきた経緯もあります。

それでも結論が出ていないのは、誰でも参加できる解りやすい議論ほど、結論に時間がかかるからであります。

当社ではこうした9月入学制度が良いのか悪いかのコメントをするつもりはありません。

あくまでアパレル企業の会議にあったような会議の法則に当てはまる事案であったのではないかと言っているだけであります。

2)ギャンブル依存症への対応

こちらは緊急事態宣言の中、休業要請に従わず店舗名を公表されたパチンコ店に長蛇の列が出来たことにより出てきた議論であります。

もともとは休業要請に応じないパチンコ店を例に、特措法の強制力や補償をどう考えるかといった議論がなされていたことから発生した議論だったかと記憶しています。

しかしいつの間にか、休業要請に従わないパチンコ店の議論ではなく、そこへ並ぶお客さんの「ギャンブル依存症」がテーマとなり議論が進んでいきます。緊急事態宣言下とはいえパチンコ店に並ぶ方の全てが「ギャンブル依存症」とは限らないわけでありますが、この「ギャンブル依存症」の問題を報道番組のコメンテーターや有識者が真面目に議論していくわけであります。

また、10万円の定額給付金がこのままではギャンブルに使われてしまうといった議論もなされていました。

全国民への給付金ですのでお金の使い方は全くの自由であるわけですが、税金がパチンコに使うことが納得いかなかったようであります。

この場合も何故こうした議論がなされていくのでしょうか。

パチンコ店の休業における特措法の強制力と補償の問題は憲法解釈も含めた難しい問題です。

一般の方には解りにくく知識もありません。それに対してギャンブル依存症の問題は比較的解りやすく一般的な議論では誰でも参加することが出来ます。

かくして解りやすく誰もが参加できる議論へと流れて行くわけであります。

当社ではこうしたギャンブル依存症についてコメントをするつもりはありません。

あくまでアパレル企業の会議にあったような会議の法則に当てはまる事案であったのではないかと言っているだけであります。

アパレル企業に関わらず、経営判断(意思決定)における重要な議案ほど解りにくく知識が求められる場合が少なくありません。

その場合、議論が解りやすいテーマに脱線しないよう会議の目的を明確にしておくべきと考えます。

また、誰もが参加できる解りやすい議題の場合は、議論が広がりすぎないよう、決めるべき事項を細分化して明確にしておくことが必要です。

経営判断(意思決定)における専門家の責任

PCを凝視する専門家

重要な経営判断(意思決定)の場面において、専門家の意見や予測は絶大な影響を及ぼすことがあります。

時には個々の企業の将来や経営者の人生を左右する場合もあります。

その限りで専門家の意見、予測には責任が伴うものと考えています。

以上は当社の職業的見解でありますが、当社もビジネスの世界において、「事業再生」「アパレル業種」の専門家として商売をさせて頂いています。

また国からの専門家として中小企業診断士や経営革新等認定支援機関といったライセンスも付与されております。

どのような場面で専門家としての責任が重要となるのかを当社の事業をもとにご説明してまいります。

中小企業再生支援協議会等による再生計画策定業務

中小企業再生支援協議会とは各都道府県に設置されている中小企業の再生を支援する公的機関となります。

事業再生に関する知識と経験とを有する専門家(金融機関出身者、公認会計士、税理士、弁護士、中小企業診断士など)が常駐しています。

窮境にある中小企業者の方々からの相談を受け付け、解決に向けた助言や支援施策・支援機関の紹介や再生計画の策定支援を実施しています。

当社ではこの中小企業再生支援協議会からの外部専門家として受託を受け、対象会社のデューデリジェンスと再生計画の策定をお手伝いしております。

デューデリジェンスとは対象会社の事業内容、財務内容を客観的な視点で精査してまとめた報告書となります。

詳しくは次のブログをご覧ください。

M&Aだけじゃない。健全な経営にデューデリジェンスが大切な理由」

また再生計画とは、その会社の再生の道筋を描くもので、今後10年の売上、原価、販売管理費、利益の計画とそれに基づく有利子負債の返済計画を立てるものであります。

この再生計画は単にこれらの数値計画を立てれば良いというわけではなく、その会社を取り巻く外部環境の状況、競合他社の状況、その会社独自の行動計画(アクションプラン)を勘案し、どこまで売上、利益が改善出来るのかをシュミレーションしたものとなります。

アパレル小売業であれば、店舗ごとの売上推移、さらに店舗の売上は「客数×客単価(単価×セット率)」などに分解され、それらを積み上げて売上計画を作成していくことになります。

また店舗やスタッフのリストラなども勘案し、売上計画や販売管理費に反映させていきます。

そしてデューデリジェンスと再生計画を含めると150ページほどの分量の資料を作成いたします。

「半沢直樹」のドラマでも帝国航空の再建計画に半沢氏が口を出していましたがあのような書類と思えば理解しやすいと考えます。

そして、この事業の特徴としては当社が外部専門家として関与した再生計画により、債権者(金融機関)の支援方針が決まるところにあります。

そうした意味において、当社のような外部専門家は、その再生計画の予測の精度において責任を持つといっても過言ではありません。

なぜなら、実際の対象会社の体力に対して、再生計画が強すぎる場合、つまり売上や利益を過大に見込んだ場合、債権者(金融機関)の支援を大きく受けられず対象会社の返済負担が重くなり場合によっては資金繰り破綻を起こします。

逆に再生計画が弱すぎる場合、つまり売上や利益を過少に見込んだ場合は、債権者(金融機関)の負担が重くなり、場合によっては債権放棄やDES(債務の株式化)といった負担を依頼しなければならなくなるからです。

ちなみに「半沢直樹」のドラマでは、帝国航空の金融機関に債権放棄を求める国土交通省タスクフォースと、再建計画の妥当性から債権放棄は必要ないとする銀行団との攻防が描かれていました。

実際に国がこうした個別企業の事案に介入してくることは無いわけでありますが、半沢氏を中心に銀行団があれだけ抵抗をしめしたのは銀行にとって債権放棄は非常に厳しい決断でもあるためであります。

また半沢氏は「再建計画は帝国航空の将来にとっても非常に重要」と言っていますがそれはこうした理由からもきているものです。

そのため、再生計画、再建計画といったものは、対象会社、債権者(金融機関)双方の利益のためにも絶対に予測が外れてはならない重要なものであるわけであります。

時には再生計画の見込み通りにいかない場合もありますが、計画策定後の12年で売上、利益計画が大きく崩れるようであれば「先生どこを見ているのですか」となり、債権者会議(バンクミーティング)で説明を求められることになります。

対象会社にとっては生死をかけた計画でもあり、債権者(金融機関)にとっても貸付金の回収という点において重要な計画ですので当然でしょう。

それゆえ再生計画の策定を支援する外部専門家にも道義的な責任が課せられるわけであります。

M&A投資におけるデューデリジェンス業務

こちらは、アパレル企業の企業買収(M&A)を検討している投資家や、ファンド等の依頼に行うデューデリジェンスとなります。

中小企業再生支援協議会におけるデューデリジェンスとやっていることはほぼ同じとなりますが、デューデリジェンスの結果により、対象会社の事業価値が変わり企業買収(M&A)の額に影響を与えていきます。

デューデリジェンスの結果が、実際の対象会社の体力よりも強すぎる場合、つまり事業価値を過大評価してしまうと企業買収(M&A)の額が高くなり、投資家は高い買い物を強いられることになりますし、場合によっては高すぎて企業買収(M&A)が成立しない場合もあります。

逆に実際の対象会社の体力よりも弱すぎる場合、つまり事業価値を過少評価してしまった場合は、対象会社の企業買収(M&A)の額が低くなり、既存の株主の利益を損なうことになります。

この場合においても、対象会社にとっては既存株主の利益に重大な影響を及ぼしますし、投資家にとっても企業買収(M&A)の投資額を決定するうえで大きな影響を及ぼします。

それゆえ再生計画の策定と同様にデューデリジェンスを行うコンサルティング会社にも道義的な責任が課せられるわけであります。

つまりビジネス社会において専門家として意見や予測を行う場合、その背景には会社の将来や雇用、債権者や投資家の利益、既存株主の利益があり、客観性と精度が求められるわけであります。

そのため予測は大きく上振れても、下振れ手もてもならないわけであります。

当社ではこうした道義的な責任が専門家に課せられていることを念頭に業務を行っています。

さて、新型コロナ対策の場合はどうでしょうか。

政府の政策判断において「新型コロナウイルス感染症対策専門家会議(のちに分科会となる)」といった有識者会議があります。

また大学教授、感染症専門の医師といった専門家がメディア等で発言をしています。

政府の記者会見において「専門家様のご意見を踏まえつつ」といった言葉からも、新型コロナ対策において専門家が重要な影響力を持っているのは間違いないでしょう。

そして専門家の意見、予測として最も印象が深かったのは「人と人の接触を8割減らさないと、日本で約42万人が新型コロナウイルスで死亡する」といったものではないでしょうか。

この意見と予測は政府の新型コロナ対策にも影響を与えていると考えられます。

新型コロナウイルス感染症対策専門家会議からも次のようなパンフレットが配布されています。

また、メディア等の報道を通じて東京駅、新宿、渋谷、品川といった主要駅の人口密集度をGPSで調べ、「本日の減少は60%、目標の80%までまだ足りない」といった次のような報道がなされていたのは記憶に新しいかと思います。

当社ではこうした専門家の意見と予測が正しいかどうかを検証するつもりはありませんし、その術もありません。

しかし専門分野は違いますが、同じ専門家として、意見や予測に対しては道義的な責任と客観性と精度が要求されるのではと考えるわけであります。

リスクは保守的に厳しく予測しておいたほうがいいという方もいらっしゃるかと思いますが、再生計画の策定や、企業買収(M&A)と同じく、新型コロナにおける意見や予測は国民の生命、国民の生活、企業の存続、雇用などに大きな影響を与えます。

その意味で見解や予測は大きく上振れても下振れてもならないものと考えるわけであります。

なぜなら、実際の新型コロナのリスクに対して、予測が強すぎる場合、つまり「日本での死亡者数は42万人となる」といった場合、政府の新型コロナ対策は過剰となり、財政的な予算コストが大きくなり増税を通じて後の国民生活を圧迫していきます。また経済(生活)活動が大きく制限され、中小企業の存続や雇用にも悪影響を与えていきます。

一方で、実際の新型コロナのリスクに対して、予測が弱すぎる場合、つまり「新型コロナは普通の風邪と同じ」といった場合、政府の新型コロナ対策は過少となり実際に死亡者が増加し不幸を招くわけであります。

今回の予測に関しては残念ながら前者のケースが該当すると考えられます。

それは新型コロナ対策における令和2年度の補正予算(第1号、第2号)の合計額が57.6兆円となり国の税収のほぼ1年分となっていることは説明いたしました。

また緊急事態宣言による自粛や事業者の休業要請により悪化した企業の資金繰り、家計を支援するために367,640億円が使われることになりました。

しかしそれでも倒産、失業などを抑えることは出来ず経済(生活)は非常に厳しい状況に置かれています。

リスクの「程度」からすればそこまでの予算を国債(借金)で賄う必要はなかったのかもしれません。

国民の生命と財産を守るという視点では新型コロナ対策以外に他にもっとやるべきことがあるのではと考える方もいらっしゃるかと思います。

確かにこうした意見と予測を考える際、3月、4月といった段階ではあまりにも新型コロナについての情報がなく、海外の状況から見ると本当に42万人が死亡するとも予測できたのかもしれません。

しかしそれでもビジネス社会の中で専門家として商売をさせて頂いている者として言えるのは、専門家に求められるのは最終的に結果でしかないわけであります。

当社がどんなに立派で素晴らしい再建計画を策定しても、どんなに対象会社がおかれる外部環境が不透明でも最終的には結果でしか判断されません。

また同様に当社のようなコンサルティング会社がどんなに素晴らしいコンサルティング手法を開発しても結果が出なければ費用と時間を浪費するだけのごみでしかないわけです。

これは当社の見解ではなく、実際のビジネス社会における実情であります。

以上、当社では日々感染症対策の現場で奮闘されている専門家の方々を批判するつもりは毛頭ありません。

またその意見や予測の内容が正しいとか正しくないかを言っているわけではありません。

あくまで専門分野は違っても専門家にもとめられるものは同じではないかと言っているだけであります。

企業経営においても、コンサルタントや専門家の活用には、意見や予測の客観性と精度、そして責任を基準に選定して頂ければと考えております。

経営判断(意思決定)編 まとめ

経営判断

以上、実際の企業経営で起きている問題をなぞりながらコロナ禍における「経営判断(意思決定)」過程での問題を見てきました。第一部の「現状分析編」と合わせてまとめると次のようになります。

現状分析方法の失敗

  • ・概念定義が出来ていない中、論理的に矛盾する議論を展開し
  • ・因果関係の見えない議論を行い
  • ・リスクにおける「程度」計測のない中で議論を展開し
  • ・結論を誘導する「現状分析」を行う
  • ・予言(不安)から第二波を自己成就させ事実に対し過大反応する
  • ・収益構造を理解しない中での考察により医療崩壊の本質が見えていない(経営判断(意思決定編)方法の失敗)
  • ・ウィルスではなく「不安」に感染しているため冷静な判断を欠き
  • ・「不安」に感染しているためPDCAが回らず
  • ・予算概念のない中で意思決定が議論され
  • ・政策批判においてコンフリクト(感情的問題)があると類推され
  • ・議論すべき問題から脱線し時間を浪費し
  • ・大きく外した専門家の予測にもとづき政策判断を行う

冒頭に申し上げしました通り、当社の見解は、政府や特定の自治体の政策を否定するものではありません。

また特定の団体や個人を否定するものでもありませんし、当社の主義主張、イデオロギーを主張するものでもありません。

しかし企業経営におけるコンサルティング業務において「現状分析」「経営判断(意思決定)」過程において、これだけ問題があると、次のステップである「対策」過程においても深刻な悪影響を与えてきます。第三部にて次のステップでの問題点を考察していきたいと考えます。

また最後に「現状分析」「経営判断(意思決定)」「対策」過程の全体像をまとめていきたいと考えております。

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