「コロナ禍」失敗の本質 第三部「対策」方法の失敗

手術をする医者たち

 最後にコンサルティング業務におけるSTEP3「対策」における問題の構図を見ていきます。

この過程は、医療に例えると「診察」や「治療方針の判断」に基づき最終的に行う「具体的な治療」ということになります。

どんなに「診察」や「治療方針の判断」が正しくても実際の「治療」の技術が無ければ症状は良くなりません。

逆にどんなに「治療」の技術が高くても「診察」や「治療方針の判断」が間違っていれば同じく症状は良くなりません。

それは企業経営におけるコンサルティング業務でも同じであります。 

緊急事態宣言が後に評価されないであろう5つの理由

経営に悩む経営者

当社ではアパレル企業のコンサルティング事業、再生計画の策定事業、企業買収(M&A)におけるデューデリジェンス事業を通じて、これまで数多くの窮境企業を見てきました。

またコンサルティング会社設立前も銀行の中小企業支援部などにおいてアパレル業種以外の業績不振企業を見てきました。

これらの職歴の中においてこうした企業を数百社と見てきたわけであります。

それらの会社に言えることは、経営者、従業員の実力が劣っているという訳ではなく、経営者も従業員も各々のおかれた立場で最善を尽くしているということです。

明らかに経営者の資質が不足する場合や、従業員の実力が劣っている場合もありますが、そうしたケースはむしろ稀であると言えます。

また、経営努力をしているかという視点においても、窮境企業が経営努力をしていないわけでもありません。

放漫経営をしていることにより業績不振に陥っている会社の方が珍しいと感じるところであります。

それでは何故、経営者、従業員の資質や実力が劣っているわけでもなく、経営努力を行っているのに会社全体では窮境状況におかれるのでしょうか。

窮境企業に共通している点

こうした窮境企業に共通している点は、次の二つです。

一つは全体の歯車が噛み合っていないこと

もう一つはミスや判断の誤りが連鎖して、悪循環に陥っていくということが多いということであります。

野球で言えば、監督や一人ひとりの選手の実力は高くてもチームプレーや連携が出来ていない、バントの失敗などのミスや、サインの判断の誤りなどによってピンチを招きそれが積み重なり致命的な失敗を招くといったところでしょうか。

こうした二つの要因で自滅していく中小企業が実に多いいわけであります。

一般的には外部環境に対応できない企業は淘汰されると言われていますが、当社(有馬)が見てきた限りにおいてはこうした自滅型の方が圧倒的に数は多いものと言えます。

そのため当社のコンサルティングでは、経営者や従業員が連携して実力を発揮できる仕組みづくり、また一つ一つの経営判断、実務や業務でミスを繰り返さない技術を身に付けさせるという点に重点を置いています。

当社では「仕組みを作り、当たり前のことを当たり前にこなす」と言っているところであります。

これも野球に例えると、監督や選手がチームプレーや連携が出来る仕組みづくり、一つ一つのプレーにおいてミスや判断を誤らない技術の習得といったところであります。

コロナ禍における経営

ビルの外を眺める経営者

コロナ禍の場合はどうでしょうか。

新型コロナ対策にあたって、政治家、行政の官僚、地方自治体の公務員、専門家、メディアにおける方々が各々の立場で最善を尽くしていると考えます。

どの団体、組織、個人においても資質や実力が劣っているわけでもなく、高い知識や実力を有し新型コロナに対応していると考えます。

政治家の方々も、休みなく対応にあたり、行政機関の方々も少ない人員のなかでオーバーワークを強いられながらも国民のために尽力して頂いていると思います。

感染症対策にあたる現場の専門家の方々、医療機関の方々も同様に現場で国民のために尽力しているわけであります。

その結果である現在の状況はどうでしょうか。

新型コロナという感染症自体は終息に向かっているのかもしれません。

特効薬やワクチンが完成すればいずれ終息するのは確かでしょう。

しかしながら新型コロナ対策の代償があまりに大きいと考えています。

新型コロナの被害には、ウィルスの直接的な被害である、死亡者、重症者があります。

また感染拡大のための対策により生じた二次的な被害(政府部門・民間部門)があると考えます。

それらの直接的な被害、二次的な被害についてまとめてみました。

※これらについては一部を除き日々数値は変化していますので数値は記載していません。

新型コロナの直接的な被害

  • 死亡者数
  • 重症者数、後遺症

新型コロナ対策による二次的な被害(政府部門)

  • 史上最大の財政赤字
  • 史上最大の赤字国債の発行
  • これらによる将来世代への負担

新型コロナ対策による二次的な被害(民間部門)

  • 史上最大のGNPの減少
  • 企業の倒産と廃業
  • 雇用の喪失
  • 家計収入の悪化
  • 病院の経営悪化
  • その他の疾病への対応の遅れ
  • 観光、飲食、物流業の危機的状況
  • 文化、芸術産業の危機的状況
  • 子供の学業機会の損失
  • 学生の就業機会の悪化
  • スポーツ文化の衰退

被害の内容は二次的な被害のほうがあまりに甚大だと言うことが出来ます。

「いのちか 経済か」といった論理的に崩壊している議論と、それを根拠とする対策により「経済(生活)」に未曾有の損失が生じていると言えるのではないでしょうか。

第一部(アパレル分野の経営コンサルタントからみる「コロナ禍」失敗の本質

でもご説明いたしましたが今一度申し上げますと「経済=生活」です。

経済の悪化は国民生活の悪化を意味します。

こうした被害の先にあるのは、生活苦、借金苦、多重債務、家庭崩壊、格差の拡大、子供の就学機会の喪失、盗難などの犯罪の増加や、パパ活や援助交際といった問題もモラルの問題ではなく「経済=生活」問題からくるものです。

そして第一部でも説明しました「自殺」と繋がる可能性があるわけです。

実際の新型コロナという感染症よりもそれにより生じた「不安」とその「対策」により実に多くのものを失ってしまったと考えるわけであります。

こうした状況により、新型コロナへの対策が成功したとは考えられないわけでありますが、その理由はどこにあったのでしょうか。

対策が成功しなかった理由

それも窮境企業と同じように一つは「仕組みの問題」であると考えます。

これは縦割り行政や法律などの問題なのかもしれません。

この点において当社では論じるだけの知識や調査もしていませんのでコメントをしておりません。

もう一つは「判断の誤りや、小さなミスの蓄積」であります。

未知の新型コロナに対する「現状分析」過程、「経営判断(意思決定)」過程においてこの「判断の誤りや、小さなミスの蓄積」に陥ってしまったのだと考えます。

この点については第一部、第二部にて当社が確認できた範囲で論じさせて頂いています。

そして、こうした2つの要因から決定的に誤ったのが「緊急事態宣言」における外出自粛要請、事業者への休業要請の社会的運用であったと考えます。

誤解なきよう申し添えいたしますと、政策自体の誤りではなくその

社会的運用に問題があったと言っているわけであります。

メディア等の報道で聞く「緊急事態宣言」は、新型インフルエンザ等対策特別措置法(特措法)により発出されるものです。

緊急事態宣言」発出の際の対処として次のパンフレットにある①~⑨が規定されています。

内閣府インフルエンザ資料

(内閣府パンフレットより)

このうち「経済(生活)」活動に大きく関わるところが2.①の措置となります。

具体的に言うと外出自粛要請、事業者への休業要請となります。

また法律の仕組みで言うとこの休業要請を出すのは各都道府県知事ですのでその「程度」の裁量は都道府県知事に任されていることになりますが、国にも「総合調整」の役割がありますので、意見が食い違う場合もあります

当社(有馬)はこの緊急事態宣言の発出の是非や、法制度について論じるつもりはありません。しかし2.①の外出自粛、事業者への休業要請は、その「程度」が問題となります。その「程度」とは次の要素で、それにより経済(生活)への影響度は増減します。

  • ・休業期間  休業要請、時短営業の要請期間をどのくらいにするか
  • ・対象業種  対象業種、業態をどこまでに設定するか
  • ・対象地区  対象とする都道府県をどこにするか

この「程度」が大きければ感染拡大防止の効果は高くなる可能性がありますが、経済(生活)への影響が大きくなるというわけです。

この「程度」の大きさは知事で判断し政府が調整するというのが法律の枠組みですがそこにも対立が見られました。

2.①の「程度」を出来るだけ低く抑えたい政府と、「程度」を出来るだけ高くしたい自治体知事もおられたように感じます。

政府と一部の都道府県知事のやりとりを見ているとお解り頂けるかと存じます。

しかしながらこの「程度」を判断するのは政府や都道府県知事だけではありません。

メディア等の報道を通じて、この「程度」を強くする社会的圧力が確かにありました。

休業要請に従わない店舗の報道や、東京の主要駅の様子や観光地の様子を映し出し「前月よりまだ60%の減少」といった形で報道されことからも明らかでしょう。

また休業要請の対象外の業種でも風評被害や周りの目を考慮して自ら自粛した事業者も少なくありません。

一般の個人でも、「自粛警察」に代表されるように、外出者、営業活動を行う事業者への中傷が行われました。

政治だけではなく、こうした社会的圧力も通じて2.①の「程度」はより大きなものとして社会的に運用されていったと考えるわけであります。

そしてそれを後押ししたのは、第一部「現状分析」の失敗第二部「経営判断(意思決定)」の失敗があったと考えています。

そうした結果、当初政府が考えていた2.①の「程度」とははるかに大きな「程度」で外出自粛や事業者の休業要請が社会全体で運用されていったのではないかと考えています。

当社ではこうした社会的背景により「緊急事態宣言」が実際のリスクの「程度」よりも過大に運用されていったのだと推測しています。

「緊急事態宣言」の社会的運用が、評価されない5つの理由

悩む経営者

誰が悪い、どの組織が悪いと責任追及するつもりはありません。

また当社の主義主張を訴えるわけではありません。

しかしながら、おそらく後の世代からは、この「緊急事態宣言」の社会的運用が、評価されることはないと推測しています。

それには5つの理由があります。

以下、その理由について説明させて頂きます。

(1)政府部門の「二次的な被害」額が史上最大級

アパレル企業に限らず企業経営において借金はどうしても必要となります。

設備投資における設備資金、仕入や季節変動に対応する運転資金などです。

企業にとって借金自体が悪いわけでありません。

しかし次の2つの場合において借金が問題となる場合があります。

一つは返済条件と返済原資のバランス、もう一つは返済原資と借入総額です。

そのため、利益が出ていない企業への赤字の補填融資は返済原資そのものがないため返済バランスに欠きます。

また過剰債務でとうてい返済できる見込みのない融資は返済原資と借入総額の点から問題となります。

こうした融資は銀行などの債権者にとってしたくはありません。

なぜなら銀行の貸付金は預金者からの預金から調達しているものであり、それが回収できなければ銀行も預金者の預金を棄損することになるからです。

国の財政の場合はどうでしょうか。考え方は全く同じです。

国の予算は国民の税金から成り立つものです。予算不足を補う借入金(赤字国債)は返済原資を欠き返済バランスを損ないます。

国の借金(国債)はいずれ国民の税金によって返済しなければならないものであります。

返済する財源がない中、むやみに借金を増やすわけにはいかないわけであります。

赤字国債をめぐっては「孫の財布に手を出す」という表現もあります。これらの赤字国債は将来世代への負担となっていくわけです。

また、返済原資と借入総額といった観点でも我が国はコロナ禍以前より世界最大規模の借金大国であります。

返済原資と借入総額と言った観点からも赤字国債を発行するには限度というものがあります。

国の財政、予算、赤字国債といったものがこうしたものである以上、予算の使われ方、赤字国債の発行の仕方は、長期的な国全体の重要度、優先度、リスクの「程度」により応じて使われるべきでしょう。

この点、異論のある方はいないと思います。

以上は一般論ですが新型コロナ対策を財政、予算的観点から見ていきます。

今回の新型コロナの場合は、感染拡大初期ではそのリスクの「程度」が全く未知数でした。

ある専門家によれば「42万人が死亡する」と予測されました。それは死因の1位である「がん」37万人を大きくこえるものでありました。

そうしたことから「100年に一度の危機」とも言われ、その予測に相応の新型コロナ対策が取られることになりました。

その対策はタダで出来るわけではないので国の補正予算(第1号、第2号)57.6兆円に具現化されていきます。

しかしながら、8月15日時点での死亡者数は1,093人と予測に対して約1/40のリスクの「程度」でありました。

しかしながら新型コロナ対策としては42万人の死亡リスクに対応していますので膨大な額となっていきます。

まとめると次のようになります。

(死亡者)  新型コロナ対策
補正予算
当初予測  420,000人  57.6兆円
実際の結果 1,093人  57.6兆円

そう言われても57.6兆円がどれくらいの規模なのか、多いいのか少ないのかも解りにくいかと思います。

なぜならば全体像や比較の対象が無いから一般の国民には理解しにくいのです。

例えばですが、ある企業で「新規出店のために5,000万円の投資を行う」といってもその投資規模が多いいのか少ないのかは解らないでしょう。

なぜならその会社の売上、利益、既存の借入金の額が解らないからです。

そこでまずは日本の財政がどのような状況なのかの全体像を見てみたいと思います。

図表は全て財務省の公式ホームページから抜粋したものであります。

尚、メディア等では「新型対策コロナ対策の事業規模は233兆円と言っているが真水部分は57.6兆円」といった報道もなされています。

一応整理しておきますと、この真水部分57.6兆円は国が一般会計から実際にお金を出して支出するものです。

一方で事業規模233兆円と57.6兆円の差額175.4兆円は融資などの形で支出される可能性のあるものを言います。

当執筆ではこの真水と言われる部分を基準にご説明をさせて頂きます。

次は我が国の2020年度の当初予算であります。国から出ていくお金なので一般会計歳出と言われています。

2020年度の国の当初予算は102.7兆円でした。

この中で特に大きい予算項目は、社会保障、地方交付税交付金等、国債費です。

社会保障は年金、医療、介護などにかける予算です。

地方交付税交付金等は国が地方自治体に配分するお金です。

財源の少ない地方自治体に国の予算が配分されている訳であります。

国債費は過去の借金(国債)の利払いと元本返済です。

家計で言えば毎月の給与の22.7%が住宅ローンやカード返済に充てられていることになります。

2020年予算01

(財務省ホームページより)

次は我が国の2020年度の当初予算における財源となります。

予算の財源ですので一般会計歳入と言われています。

その内訳の2/3程度は所得税、法人税、消費税といった税金で賄われています。

しかし1/3程度は公債費で賄われています。

公債費とはつまり国債発行による借入金となります。

ここで気づいた方もいらっしゃるかと思いますが、歳出で23.4兆円の借入金の返済を行いながら、歳入で32.6兆円の借入を行っています。

これが日本特有の自転車操業体質の財政となっています。

家計で言えば家計で言えば毎月の給与の22.7%が住宅ローンやカード返済に充てられていることになるわけですが、それでは生活が維持できないので、新たにカードローンなどで給与に対して31.7%の額を借入しているわけであります。

2020予算02

(財務省ホームページより)

そして次の表は、過去45年間の一般会計歳出と一般会計税収、国債発行(借入)の推移を示したものです。

黒色の折れ線は一般会計歳出です。

1975年より増加傾向にありますがその主因は少子高齢化による社会保障費の増大です。

青色の折れ線グラフは一般会計の税収です。

1990年初旬以降、バブルの崩壊で税収は減少し、2008年のリーマンショック、2011年の東日本大震災の時期に景気低迷とともに大きく落ち込みます。

しかし以降、税収は増加していき2019年度の税収は過去最高額の63.5兆円となりました。

これはアベノミクスによる景気回復による所得税、法人税の増加、消費税率アップによる消費税の増加によるものです。

そして、黒字の折れ線グラフ、青色の折れ線グラフの間のオレンジ色の部分が、歳出と税収の差額、つまり予算の不足部分ですが、借金(国債)で埋める部分となっています。一番下の赤色の棒グラフは実際の国債発行額となります。

ちなみに左上にかわいいワニのイラストがあるのは、一般会計歳出と一般会計の税収の差額がワニの口のように開いているということを表現しているようです。

予算03

(財務省ホームページより)

そしてここまで見ると、新型対策コロナ対策の令和2年度の補正予算(第1号、第2号)の総額57.6兆円の規模がとてつもない規模であることが見えてくるのではないでしょうか。

単純に言えば、一般会計税収63.5兆円とほぼ同額、つまり一年分の税収に相当する額となりますが、それがそのまま同年度の一般会計歳出に乗っかる形となります。

一般会計当初予算102.7兆円 + 補正予算(第1号、第2号)57.6兆円 = 160.3兆円

一般会計総額160.3兆円 - 一般会計税収63.5兆円 = 財政赤字96.8兆円

そしてこの財政赤字を埋めるために90.2兆円の借金(国債)を行うわけであります。

また一般会計税収63.5兆円はあくまで見込みであります。

今後さらに景気が低迷すれば税収は減少し、消費税などの減税が行われればさらに財政赤字の額は大きくなります。

ここまでで次のことが言えることになります。

  • 2020年度の一般会計予算は新型コロナ対策で史上最大規模の160兆円
  • 財政赤字も史上最高規模の96.8兆円
  • 赤字国債(借金)の発行額も史上最高規模の90.2兆円

また2020年度の赤字国債発行を含めた日本の国債残高は、国と地方を合わせて1,182兆円となりました。

これは単年度の一般会計税収63.5兆円の18.6倍となります。

家計に例えると年収500万円の世帯が9,000万円の住宅ローンを組むようなものであります。

対GDP対比でも次の図のように世界最大の借金大国となるわけであります。

国の借金グラフ

ちなみに国民の負担という観点から、今回の補正予算(第1号、第2号)57.6兆円の償還を考えると次のようになります。

・所得税、法人税、所得税を2倍にすれば概ね1年で償還

・消費税20%で概ね2.7年で償還

・消費税15%で概ね5.3年で償還

グラフの数値で計算していくとこうなりますが、景気が失速するなかで非常に重たい国民負担になるかと考えます。

今現在でも「緊急事態宣言の発出を」「第3次補正予算を」「消費税の減税」をという言われる方々も多いわけですが、こうした全体像と「予算」概念持ち考えれば将来世代にとって極めて重たい負担を強いる可能性があるといえるのではないでしょうか。

国の財政に関わらず企業財務でも財務収支を健全化するためには2つの方法しかありません。

それは収入を増やすことと費用を抑えることです。

国の財政の場合は、収入を増やすことは税金を上げること、費用を抑えることは予算を抑えることになります。

将来的に消費税などの増税を行いつつ、予算割合の大きい社会保障費を減額していくしかありません。

どちらにせよ国民負担を強いることになり国民生活に影響を与えていくわけであります。

つまりコロナ禍以前より、年次の一般会計でも自転車操業であった財政で、世界第一位の借金大国であるにも関わらず、日本の歴史史上、最高の財政赤字、赤字国債を発行したわけであります。

そしてこの負担は、増税、社会保障の減額などの形によって国民の負担となるわけであります。

新型コロナのリスクの「程度」に際して、この財政状況のなかでこれだけの予算を使うべきだったのかどうか。

おそらく後々の世代より厳しい評価を受けるものと考えています。

以上がコロナ禍対策における政府部門の「二次的な被害」となります。

(2)民間部門の「二次的な被害」額が史上最大級

悩む女性

前項で説明した「二次的被害」は政府部門だけではありません。

民間部門も史上最大級の被害を受けることになります。

そして民間部門の「二次的被害」は経済(生活)の悪化という形で現れます。

先ほどもご説明した次のものとなります。

  • 史上最大のGNPの減少
  • 企業の倒産と廃業
  • 雇用の喪失
  • 家計収入の悪化
  • 病院の経営悪化
  • その他の疾病への対応の遅れ
  • 観光、飲食、物流業の危機的状況
  • 文化、芸術産業の危機的状況
  • 子供の学業機会の損失
  • 学生の就業機会の悪化
  • スポーツ文化の衰退

それではなぜ、こうした被害が民間部門に及ぶのでしょうか。

これまで見てきたところで新型コロナ対策においては3つの「程度」があるとご説明してきました。

それは

①リスクの「程度」

②対策の「程度」

③対策予算の「程度」

であります。

またこの3つの「程度」により、結果的に民間部門が強いられる④国民負担が決まると考えています。

この3つの「程度」と④国民負担を次の表をもってご説明します。

この表は当社が概念化した図表であります。

程度と国民負担の関係性

(当社作成資料)

①リスクの「程度」

第一部にて新型コロナのリスクを図る指標として「死亡者数」を上げてきました。

当初想定された42万人の死亡リスクに対して、「直接的被害」となる実際の死亡者は1,093人であったこともご説明してきました。

しかし、このリスクの「程度」は、予測の約1/40であったわけであります。

②対策の「程度」

これは①のリスクに対して、緊急事態宣言における2.①の対処、すなわち外出自粛と、事業者の休業要請をどの程度強くするかといったところとなります。

この点、政府が考える対策の「程度」(グラフの青色)と、地方自治体が考える「程度」(グラフの緑色)、メディア等の報道を通じて形成された社会的圧力から考える「程度」(グラフのオレンジ色)が違う点もご説明してきました。

社会的な「不安」を背景に、実際のリスクの「程度」とは乖離した、外出自粛と、事業者の休業要請が行われ、かつそれが、地方自治体の要請や、社会的要請により、より大きくなっていきました。

過剰に予測された①リスクの「程度」に応じる形で②対策の「程度」も社会的に大きくなったわけであります。

③対策予算の「程度」

これは①②の「程度」に際してどれだけの対策予算を講じるかということになります。

これも日本の現在の財政状況をもとにご説明してきました。

死亡者42万人といった予測と社会的な「不安」から、財政状況にそぐわない多大な補正予算(財政赤字)が組まれることになりました。

グラフの下段部分が補正予算(第1号、第2号)57.6兆円となります。

この内訳は、医療体制の整備などの「直接的な被害への対策費」、外出自粛、事業者の休業要請などに対する資金繰り支援、補償などの「二次的な被害の対策費」、地方臨時交付金や予備費などの「その他への対策費」に分類されるとご説明しております。

しかしながら、緊急事態宣言における緊急事態宣言における外出自粛と、事業者の休業要請は、対策予算の「程度」をはるかに超え社会的に実行されることになります。

すると、②対策の「程度」と、③対策予算の「程度」間に乖離が生じ、不足前が、GNP(4~6月)で年率27.8%減、実額にして約40兆円のGNPの減少として現れます。

つまり、②対策の「程度」が強すぎて、③対策予算の「程度」では補填しきれず、その差が民間部門の損失として現れたわけであります。

図表ではGNP(4~6月)のGNP減少分40兆円としていますが、不況が長引けばさらに大きくなるわけであります。

ちなみに補正予算(第一号)成立した際、政府は10万円の特別給付金でGDP(国内総生産)を4.4%押し上げる効果があると公開していました。

しかしそれはGNP(4~6月)で年率27.8%減という結果により絶望的となったと言えます。

その要因は、②対策の「程度」が地方自治体の要請、社会的な要請をふまえ政府の想定するところより強力に運用されたためだと考えています。

④国民負担

上記の結果、民間部門が負うべき経済的損失と負担は、「二次的な被害」としての40兆円相当分、これは企業の倒産、雇用の喪失、家計収支の悪化、特定業種の衰退として現れます。

つまり、①リスクの「程度」を見誤り、②対策の「程度」は社会的圧力により増大し、③それに比例して予算の「程度」も過剰となるが、②の対策の「程度」があまりにも過大であるため補えず、④国民負担の「程度」として残るのは、「二次的な被害」、企業の倒産、雇用の喪失、家計収支の悪化、特定業種の窮境などに加え、国の税収1年分といった多額の赤字国債(借金)ということになります。

かくしてリスクの「程度」にそぐわない国民負担の「程度」が結果として残るわけであります。

おそらくこの図表を見て、納得のいく次の世代の方々は少ないかと考えるところであります。

(3)国も国民も貧しくなることを前提にした対策

退屈な会議

企業経営において、経営戦略は2つの軸があります。

一つは成長戦略、一つは守りの戦略です。

またこの二つの戦略と、その実行過程に必要となる借入金との関係を見てみたいと思います。

成長戦略とは、新商品開発、新規取引先の開拓、新規事業などです。

これらの経営戦略を行うために、研究開発費、販売促進費、生産設備に投資がなされます。

こうした経営戦略は、一時的な投資は伴うものの、将来の売上、利益に反映され、企業の将来性やそこで働く従業員の生活を豊かにしていきます。

またこうした成長戦略に必要となる借入金は設備投資における借入金です。

この借入金は設備投資の結果、売上、利益が増大しそれが借金の返済原資となっていきます。

必ずしも設備投資が上手くいくかは解りませんが企業経営にとって絶対に必要なものとなります。

守りの戦略とは、事業再生過程においてなされるケースが多い守りの戦略です。

不採算事業、不採算店舗、従業員のリストラなどのコストカットで、赤字部門を切り離し黒字化しようとするものです。

この戦略自体が必要な場合も確かにありますが、本質的な赤字の要因を解消しないなかで継続すると、トカゲの尻尾切りのように事業規模は縮小していきます。

また従業員にとって夢や希望もなくモチベーションは低下し、企業の将来性やそこで働く従業員の生活を豊かにするものではありません。

あくまでマイナス部分を取り除き「マイナスをゼロ」にする経営戦略でしかないわけであります。

またこうした過程で必要となる借入金は赤字の補填資金です。

企業は赤字になると資金繰りが苦しくなります。

その資金繰りを補填するのが赤字の補填資金としての借入です。

しかし元々赤字であればこの借入金を返済することは出来ません。

また設備投資と違い、この借入金によって売上や利益が増えるものでもありません。

そうした意味でこうした赤字の補填資金は利益を生まず、良くない借金となります。

国会議事堂

同様に国の政策においても、成長戦略と守りの戦略があると考えます。

国の場合も同じです。

国の成長戦略として思い浮かぶのが「観光立国」政策です。

この政策はアベノミクスにおける成長戦略の一環として推進されました。

以下、後者について観光庁の文章をもとに少し解説したいと思います。

観光立国政策とは、2006年制定の観光立国推進基本法に基づき推進されたもので

1)国内旅行消費額を21兆円にする

2)訪日外国人旅行者数を4,000万人にする

3)訪日外国人旅行消費額を8兆円にする

等の目標を掲げたものであります。

そして2016年には観光立国推進基本計画が公表されました。

そこには「明日の日本を支える観光ビジョンを踏まえ、観光は我が国の成長戦略の柱、地方創生への切り札であるという認識の下、拡大する世界の観光需要を取り込み、世界が訪れたくなる「観光先進国・日本」への飛躍を図ることとしています」と規定されております。

また具体的な政策としては、地域の観光インフラの整備、民泊などの規制緩和、海外需要の掘り起こしなどが行われてきました。

つまり観光立国政策は10年以上の期間をかけ国をあげて取組んできた一大成長戦略であったわけであります。

この政策により下図のように、観光業界の市場規模(旅行消費額)は2012年には21.8兆円だったものが、2019年度では約28兆円にまで増加いたしました。

(観光庁:観光白書より)

こうした成長戦略は次のプロセスで、国民生活の質や国としての競争力を高めていきます。

「観光立国政策 ⇒ 観光業の市場規模が拡大 ⇒ 関連産業の市場規模が拡大 ⇒ 観光業・関連産業の雇用増加 ⇒ 観光業・関連産業の所得増加 ⇒ 税収の増加」

具体的に言うと、観光立国政策によりインバウンド含めた旅行者が増加し、観光業の市場規模が拡大し、飲食業やお土産などの物販産業の市場規模も拡大し、そうした産業での雇用が生まれ、事業者や雇用者の所得が上がり、それは税収として帰ってくる。こうした流れで経済(生活)が活性化するわけであります。

実際に観光関連業界には673万人の方が就業するに至りました。

日本の総就業者数は6,670万人ですので、およそ1割の就業者にあたります。

さらにその就業者によって支えられている家計があります。

1就業者が2人の非就業者(子供や高齢者)を支えていると仮定すると、1,246万人の家計が観光業で生計を立てていると言えます。

地方によっては就業者の大半を観光業で占めているところもあります。

また観光業による税収は5兆円とも言われており、国の重要な基幹産業となっています。

またリーマンショック、東日本大震災で荒廃していた地方経済を再生する意味でも、資源のない日本において、潜在的な観光資源を掘り起こし成長戦略に繋げるという意味でも非常に有効な政策であったと考えるわけであります。

難しいことは置いておいても、政策の主旨としては「税金で成長戦略を行うから、皆がんばって働いて豊かになりましょう」ということであります。

こうした成長政策であれば、赤字国債で税金を使ったとしても国民生活は豊かになりますし、後に税金として戻ってきますので国全体としても豊かになるわけであります。

ちなみに観光業界と言えば、新型コロナ感染拡大で最も被害を受けている民間部門です。

キャリーを引く旅人

こうした中、「GoToトラベルキャンペーン」がメディア等の報道で話題となっています。

「感染拡大の中で実施は早すぎるのか」という議論であります。

国民でのアンケート結果でも、「早すぎる」といった意見が多いい中、やはり「政府は経済活動に前のめり」といった意見も聞かれます。

とある報道番組において生出演していた官房長官が、こうしたコメンテーターの意見に際して「やらなければ観光業はもっと大変なことになる」と説明されていました。

その説明の背景には観光業におけるこうした背景があるわけであります。

一方で国における「守りの戦略」とはどのようなものでしょうか。

それは今回の緊急事態宣言における外出自粛要請、事業者の休業要請が該当すると考えます。

この政策は、新型コロナの感染拡大防止、あるいは医療崩壊の防止という目的で行われますが、経済(生活)活動におけるプロセスは次のようになります。

「外出自粛要請、事業者の休業要請 ⇒ 消費(需要)の減少 ⇒ 企業の窮境 ⇒ 雇用の減少 ⇒ 企業・家計の所得減少 ⇒ 企業・家計の支援(補正予算) ⇒ 赤字国債の発行 ⇒ それでも経済(生活)は悪化 ⇒ 税収の減少」

この政策は、経済対策ではないので国民生活を豊かにするといった目的はありません。

先ほどの成長戦略がプラスの波及効果があったのに対し、この政策は全ての要素がマイナスで波及していきます(一部成長戦略も含まれていますので全てがその限りではありません)。

国全体の経済活動が停滞することも前提ですし、結果としてGNPが減少することも目に見えており、結果として税収が減少することも当然の結果となります。

政策の主旨としては、「感染拡大防止のため、皆働くのをやめましょう。国民生活は貧しくなりますが、国も出来るだけ借金して補填します。」といったものであるから当然であります。「働かざる者食うべからず」ということわざもありますが、資源のない我が国において、社会全体として働かないことを選択したわけですから当然のことでしょう。

そしてこの政策の後に残されるものは、赤字国債による将来世代への負担、倒産、失業などの「二次的被害(政府部門・民間部門)」となるわけであります。

またこうした守りの戦略は、再生過程の企業経営と同じく、赤字の補填資金といった借入が必要となります。

国で言えば赤字国債となります。財政出動しても全体の税収も減少していきますので返済原資が限られます。

結果、借金と利払いだけが長期間残り国民生活を圧迫していくわけであります。

おそらくこうした内容の政策と、結果的に残された国民の負担に対して、納得のいく次の世代の方々は少ないかと考えるところであります。

(4)受益と負担の関係から共倒れの可能性

お金と請求書

企業経営を「受益」と「負担」の関係から見ると経営者、従業員に次のような関係があると考えます。

経営者の「受益」は従業員の労働により結果として利益を得ることができます。

利益は株主配当や役員報酬といった形で経営者に還元されます。

経営者の「負担」は雇用の維持や給与の支払です。

従業員の「受益」は毎月得られる給与や賞与です。

「負担」はその会社への労働力の提供となります。

つまり経営者、従業員の相互に「受益」と「負担」の関係があるわけであります。

まとめると次のようになります。

受益 負担
経営者 利益 給与
従業員 給与 労働力

そしてこのバランスは相互に均衡がとれていなければなりません。

経営者の「受益」が高すぎると、株主配当や役員報酬が過剰となり、従業員へ還元する給与が減少します。

その結果、従業員が退職し、事業そのものが継続出来なくなるかもしれません。

また経営者の「負担」が重すぎると利益額が減少し、利益をもとにした投資が出来なくなります。

それは事業継続にも影響を与えていきます。

つまり、この「受益」と「負担」のバランスは均衡が取れていないと事業継続性は担保されず相互に共倒れする可能性があるわけであります。

国の場合はどうでしょうか。

国の場合は、就業者(生産年齢人口)と高齢者との間に「受益」と「負担」の関係があります。

内閣府の「高齢者白書(2019年版)」によれば、2018年において、2.1人の生産年齢人口で1名の高齢者を支えていると説明されています。

そして「受益」と「負担」の内容を見ると、就業者は税金を負担し、高齢者は社会保障(年金、介護など)の「受益」を受けていることになります。

もちろん就業者も医療などの社会保障の受益を受ける場合もありますし、高齢者も元気に働いている方もおられますし、消費税や固定資産税を通じて税金を負担するわけでありますが、概略としては次のようになるわけであります。

受益 負担
就業者 少ない 税金
高齢者 社会保障 少ない

そして、この2.1人の生産年齢人口で1名の高齢者を支えている構図と、新型コロナにおける被害を重ねるとどうなるでしょうか。次は当社が作成した概念図となります。イラスト部分のみ財務省のホームページより一部抜粋しました。

(当社作成資料)

上記の図より解る通り、これまで説明してきました「直接的な被害」は「受益者」である高齢者に集中しています。

新型コロナの死亡者は高齢者や基礎疾患のある方に集中していますのでこうした図のようになるわけであります。

一方で、「二次的な被害」は「負担者」支え手である、現役世代に集中します。

この現役世代とは、サラリーマンやパート従事者、またそれらの方々を雇用している事業者となります。

「高齢者のいのちを守るために事業者は休業を」「高齢者のいのちを守るために帰省はよく考えて」といった報道にもある通り、緊急事態宣言における外出自粛要請、事業者の休業要請は支え手である現役世代の経済(生活)活動を大きく制限したわけであります。

そしてその結果である「二次的な被害」はそのまま現役世代と将来世代が被るわけであります。

政府部門の被害は赤字国債を通じ将来への負担となり、民間部門の被害はGNPの減少、企業の倒産、雇用の喪失、家計の収入悪化などの負担となり現役世代と将来世代の負担となっていくわけであります。

こうしたご説明をしますと、「高齢者は死んでもいいのか」「高齢者の方が選挙の投票率が高いので政策に反映されて当然だ」といった意見も想定されますが、当社(有馬)はそうしたことを言っているわけではありません。

ただでさえ「受益」と「負担」のバランスの悪い高齢化社会である日本で、支え手である現役世代の経済(生活)活動を大きく制限すれば支え手がいなくなります。

お神輿で言えば担ぎ手の足をロープで縛るようなものです。

そうなれば高齢者も現役世代も共倒れとなります。企業経営と同じように、「受益」と「負担」の均衡が崩れると国そのものが継続出来なくなると言っているわけであります。

新型コロナの「直接的な被害」はワクチンや特効薬でいずれ終息するでしょう。

またリスクの「程度」は当初の予想よりも低いものでした。

しかし「二次的な被害」はまだ始まったばかりであります。

今後、赤字国債による将来的な負担、不況の拡大によりさらに重たい負担が現役世代、

将来世代にのしかかる可能性があります。そうした時、今回の政策が評価されるとは考えにくいわけであります。

(5)大型不況への扉を開いてしまった可能性

分岐点

当社(有馬)はこれまでの職業人生のなかで2つの不況を金融の現場で見てきました。

一つはバブル崩壊後の長期不況。

この不況は金融機関やノンバンクの不良債権が大きな問題としてありました。

もう一つはリーマンショック。この不況を契機に中小企業支援の枠組みが大きく変わりました。

金融円滑化法を始めた中小企業支援策は拡充し、窮境企業の支援制度も以前と比較して飛躍的に充実することになりました。

そうした時代背景もあり、当社(有馬)は銀行における事業再生支援部での業務、また事業再生ファンド(サービッサー)での業務を経験さえて頂きました。

その後、金融機関を離れ現在のコンサルティング業務を行っているわけであります。

こうした経歴でありますが、ただ一つ言えることは「不況」は絶対的に「悪」であります。

経済に景気循環がある以上、不況は避けられないわけですが、その規模、期間は出来るだけ小さく短い方が社会の誰にとっても良いわけであります。

なぜなら、企業の倒産、雇用の喪失、家計収入の悪化は、生活そのものを崩壊させ、貧困や家庭崩壊、犯罪の増加などを招き、最終的には人の生命を奪うからであります。

この点は第一部でもご説明したところであります。

しかしながら、非常に残念でありますが、今回のコロナ禍はこの不況を招いてしまうでしょう。

コロナが終息すれば景気は元にもどると考える経営者もいるかもしれませんが、ことはそんなに単純でありません。

またその規模、期間においても深刻なものになるのではと危惧しているところであります。

幸いにもそうならなければ良いのですが深刻な不況となりえる材料が揃っています。

以下、その材料をご説明いたします。

 コロナ禍における景気への影響(需要・消費面)

消費

 大手シンクタンクの試算では、企業の休業、倒産などにより、リーマンショックを超える100万人の失業者が生じると言われております。

また、大量失業が発生しない業種でも、消費不振による売上減少を受け、給与の減額や、残業の減少、賞与の減少を通じて所得が下がることが予想されます。

これは現在の皆さまの会社の状況を考えて頂ければ連想できると思います。

そして、そうした家庭では、コロナ禍終息後も生活防衛のため、今度は消費自粛をしていくことが予想されます。

収入の減らない家庭でも世の中の景気感が悪くなれば生活防衛のため貯蓄率を高めていきます。

コロナの恐怖が去ったとしても、今回のように国の対応次第で雇用や生活が崩壊するリスクを目の当たりにした中では、生活防衛のために消費を自粛するわけであります。

このあたりの現象はバブル崩壊後の不況、リーマンショックの際にもあった事象でございます。

こうしたプロセスでカネの流れが悪くなり、消費市場は停滞していくと考えられます。

さらに、インバウンド需要が無くなっています。海外需要も減少しているわけですから輸出産業も厳しくなると考えられます。

つまり簡単に言えば国内でも、海外でも消費需要が減少するわけであります。

コロナ禍における景気への影響(供給・生産面)

生産工場

 まず消費不振による生産量の縮小が考えられます。

これは自動車や産業機器などの業界ですでに発生しています。

アパレル業界でも、アパレルメーカー、縫製工場やニット工場でも既にそうした状況が生じています。

そして生産を縮小しますと、原材料の消費や、下請け会社への外注加工費も減少していきます。

そうすると原材料メーカーの売上は減り、下請け企業の売上も減っていきます。

現在、アパレル業界だけではなく、工業製品などの製造業でもこうした深刻な状況となっています。

それは関連会社であるLLPアライアンスコンサルティングでの業務のなかでも現実に痛感しているところです。

そして生産量の減少は、設備投資を抑制していきます。詳細説明すると長くなるので割愛しますが、マクロ経済の理論では設備投資は景気に大きな影響を与えていきます。 

コロナ禍は金融機関にも波及する可能性

銀行の建物

 そしてまた、これらの需要、供給の減少は、企業に資金を供給する金融機関にも影響を与えていきます。

企業の業績が悪化すると、これまで正常貸付先であった企業の債務者区分(融資先に対してのランク)が下がり不良債権となります。

不良債権となった先には融資が難しくなり企業の資金調達が難しくなっていきます。

バブル崩壊後の不況、リーマンショックの時に起きた「貸し渋り」といった減少が起きてくるわけであります。

また不良債権の増加は銀行本体の財務基盤にも影響を与え、さらに融資出来ない状態となっていきます。

モノの本や、専門家の中には、「不況の時こそ銀行はカネを出せ」という方もおられるのですが、銀行の方からすれば財務的に貸したくても貸せない状態に陥るわけであります。

当社(私有馬)もそのような現状下で銀行にいた人間でありますのでリアルな体験として持っているわけであります。

そうして、このようなプロセスで企業に資金を提供する金融機関の体力も落ち、ますますカネの流れが悪くなり、企業もさらに設備投資が出来なくなるわけであります。

もともと金融機関、特に地方銀行では数年前より経営危機が言われておりました。

長引く低金利化で貸付金の利息収入が得られず、経営的にも厳しくなっていたわけであります。

そうした状況でしたので、今回のコロナ禍によるダメージは、地域経済を支える地域金融機関にも大きなダメージを与えるのではないかと考えております。

当社は地域の金融機関とはビジネスパートナーとして連携しておりますが、現場の支店長や本部の方からの危機感をよく耳にするところであります。

「バランスシート不況」の再発

投資ファンド

 そして金融機関も含め、一度こうした状態に陥ってしまうと、負のスパイラルから抜け出しにくくなります。

いわゆるバブル崩壊後の長期不況のなかで生じていた「バランスシート不況」であります。

これは、次のプロセスで発生する不況です。

企業の売上と収益力が減少する中で、借入金の負担が相対的に重くなり、企業は過剰債務状態となりバランスシートを棄損します。

今回のコロナ禍における緊急融資もそこに拍車をかける状態となるでしょう。

現に日銀の「貸出・預金動向」では、2020年7月の金融機関の貸出残高は、2019年8月の543.7兆円から579.2兆円と355兆円も増加しているとしています。

コロナ禍における企業の資金繰り支援として融資が急増しているわけであります。この355兆円という規模感は国の財政の話をしてきましたのでご理解頂けると存じます。

そして、こうしてバランスシートが棄損すると企業が捻出した利益は過剰債務の返済に回り、設備投資をしなくなり、さらに人件費を抑制し、従業員の所得を下げ、消費減少は加速し経済は不のスパイラルと陥ります。

これが「バランスシート不況」であります。

今回のコロナ不況で「バランスシート不況」の負のスパイラルが生じるか解りませんが、企業の業績が多くの業種で減少する中、金融機関の融資残高は急増しています。バランスシート不況が再発してもおかしくないと言えるでしょう。

不況の震源地が「生活者直下型」である

 新築物件

今回訪れると考えられるコロナ不況が、前回のバブル崩壊後の不況、リーマンショックと大きく違うところがあると考えております。それは震源地(発生点)が違うということであります。

ここで少しバブル崩壊後の不況について簡単説明します。

バブル崩壊後の不況の震源地は、金融機関の不良債権問題でした。金融機関による過剰投資は地価を過剰に高騰させ、さらなる過剰投資を生み、バブルがはじけた時に、これらの過剰投資は不良債権となりました。

「住専による不良債権問題」、先ほどご説明しました「貸し渋り」、「長銀や、山一証券などの経営破綻」、「大手都銀の統廃合」、「不良債権処理」等々。

こうした中、まさに渦中にいた人間でありますので今でも鮮明に記憶にあるところであります。現在45歳以上の方であれば、何となく記憶に残っているのではないでしょうか。

そしてこれらの不良債権問題や金融からの資金の流れが途絶え、一般企業や家庭に影響を与え、企業では過剰債務解消のため金融債務の返済に専念し設備投資を抑制し、家庭では「将来の不安」といった言葉に代表されるよう、貯蓄はあっても消費には回らないという事象が起き、「失われた20年」と言われるような長期低迷が起きていたわけであります。

リーマンショックも詳細の説明は割愛いたしますが、震源地は金融というところは共通しております。

つまり何が言いたいかと申しますと、かつてのバブル崩壊後の不況、リーマンショックは、地震で言えば三陸沖地震のように震源地は一般家計や生活者からは遠く、回りまわって家計や生活者に影響を与えていたということです。

そのため、業種、所得階層によっては甚大な痛みを感じないで済んだ家計や生活者もいたわけです。特にリーマンショックはその傾向があったように感じています。

しかし、今回の震源地は家庭や生活者の足元、日常の生活消費のところが震源地となっています。

つまり都市直下型の地震のイメージです。家計や生活者の消費に近いところの経済活動を止めたわけですから当然と言えば当然でしょう。特に観光業のウエイトが高い地方ではこの傾向が強いと予想されます。

そうしたなかで、甚大な影響を受けるのは、飲食業、文化イベント業、旅館・ホテル・遊戯施設などの観光業などの業種であります。

こうした業種の共通点として言えるのは、女性や非正規従業員、フリーランスなど経済的に非常に弱い立場の方が多く従事している業界であることです。

かつてのバブル崩壊後の不況や、リーマンショックでは金融や不動産における一部のエリートに被害が多く集中しました。

銀行の統廃合や大規模なリストラもありましたが、大手企業が多い業界ですのでリストラの際には早期割増退職金などの優遇を得られるわけであります。

しかし、女性の非正規従業員、フリーランスといった方にはそうした保証はありませんので、経済的に弱い立場の方の痛みが大きくでる不況であることを非常に危惧しております。

アパレル・ファッション業界においても、店舗でパート、アルバイトスタッフとして働く皆さま、デザイナーやパタンナーなどの専門職としてフリーランスで働く方々、縫製工場等の下請け先として生業的に仕事を請け負う方々、こうした方々に影響が出るところであります。

財政出動が出来ない状況に追い込まれている

崖っぷちにたつ男性

 不況になると行われる経済政策があります。それは財政出動による公共事業であります。

需要が減少するなか政府が強制的に需要を作り出すという意味で「有効需要政策」と言われています。

高校の社会科の教科書にも載っている政策であります。

典型的なのが、道路整備などの公共事業です。国の予算を使い道路や交通網を整備するわけであります。

その経済波及プロセスは「公共事業 ⇒ 建設業の市場規模が拡大 ⇒ 関連産業の市場規模が拡大 ⇒ 建設業・関連産業の雇用増加 ⇒ 建設業・関連産業の所得増加 ⇒ 税収の増加」となります。

これは成長戦略とは少し違い、長期的に使用する道路などのインフラを整備するだけですので、国の競争力には直接的に影響しない場合もありますが、一定の経済波及効果が見込まれるわけであります。

しかしながら、こうした大規模な財政出動による公共事業はしばらく行うことは難しいでしょう。

なぜなら今回の新型コロナの対応だけで57.6兆円の赤字財政となっています。

これはバブル崩壊後の経済対策費、リーマンショック時の経済対策費を合わせた額とほぼ同じです。つまり過去2回の大型不況を合わせた額の予算を使ってしまったわけであります。

また国の債務残高(国債発行額)も過去最大となりました。

つまり経済対策を打てるカードを既に使い切ってしまったわけであります。

評論家の中には「赤字国債は国民負担とならない」といった主張を論じる方もおられるようですが、半沢直樹のドラマでも言っていたように「借りたものは返さなければならない」わけであります。

また程度を超えた赤字国債の発行は将来世代が困った時に打てる対策の自由を奪うことになります。

また「大規模な財政出動を」と唱えるかたもいらっしゃいますが、予算「概念」を持って議論するべきでしょう。既に史上最大級の「大規模な財政出動を」してしまったばかりであります。

不況突入へのスピードを加速させてしまった

ハイスピードな夜景

不況や災害といった良くない事象は、突然やってくるのと、少しずつ到来するのでは、受ける被害も変わってきます。

半年後に到来していると解っていれば十分な備えも出来ますし、被害を最小に抑えることもできます。

しかしながら緊急事態宣言における外出自粛要請、事業者の休業要請は短期間に自ら不況の被害と同等の損害を短期間でもたらしました。

それは「二次的な被害」で説明したようなGNPの減少、企業の倒産、雇用の喪失などであります。

災害に例えると洪水が迫る中、自ら堤防を破壊したようなものと言えるでしょう。

内閣府によればアベノミクス効果による景気拡大は2018年10月に終わっていたと言われています。

もともと景気の後退局面にある中、コロナ禍が生じたわけであります。

「泣きっ面に蜂」と表現されることもありますが、蜂といったかわいいものではなく「泣きっ面をバッドで殴る」といったようなインパクトであったと考えます。

本格的な不況突入のスピードを速めたことになり、不況による損失は大きなものとなると懸念しているところであります。

以上、新型コロナ対策、緊急事態宣言における外出自粛要請、事業者の休業要請は評価されないであろう5つの理由について説明してきました。緊急事態宣言によってどれだけ感染拡大が阻止され、どれだけ死亡者数を削減できたかは解りません。

それでも42万人が死亡するリスクの「程度」であれば借金を残す後の世代への理解を得られたのかもしれません。

しかし、実際には、インフルエンザの1/3、誤嚥による窒息や肺炎のリスクの1/45の死亡リスクであったわけであります。

また、政策を実行する当時ではあまりにも新型コロナの情報が少なく、リスクの「程度」と対策の「程度」を高く見積もるしかなかったのはやむを得ないとも考えます。

しかし客観的な結果だけ見れば後の世代へ理解を求めるのは難しいと考えるわけであります。

最後にこれらの5つの理由は、企業経営にとっては「経営環境の悪化」を意味します。

感染防止対策や、アフターコロナ社会への対応を疎かにしても良いというわけではありません。しかし本当の脅威はそこではありません。不況という中長期戦に備え、資金繰り対策や、組織力、商品力、営業力などの経営体力をつけることがいますべきことだと考えます。

環境へのアプローチ方法の失敗

前項にて新型コロナの対策の補正予算(第1号、第2号)が57.6兆円であることをご説明しました。

またその内36.7兆円が外出自粛要請、事業者の休業要請にかかわる「二次的な被害」への対策費であるとご説明しました。

それではなぜここまで大きな対策費を必要としまったのでしょうか。

「外部環境」と「内部環境」へのアプローチという観点から説明いたします。

企業経営の3つの要素

企業経営において「利益」を決める要素は3つしかありません。

 

「売上高」

「売上原価」

「販売管理費」

 

の3つであります。

いかに多く売って、いかに原価を抑え、販売管理費を抑えるか。この3しか利益を決める要素はありません。

アパレル企業に限らずこれはどの業種でも同じであります。

そしてこの「売上高」「売上原価」「販売管理費」のコントロールの容易という観点で見ると

販売管理費 > 売上原価 > 売上高

となります。

なぜなら販売管理費は内部環境へのアプローチ、売上原価は内部環境と外部環境へのアプローチ、売上高は外部環境へのアプローチだからであります。

内部環境へのアプローチは効果が出やすく、外部環境へのアプローチは効果が出にくいわけであります。

以下その内容をご説明いたします。

販売管理費

役員報酬、人件費、地代、保険料、新聞図書費、雑費などの費用項目に分類されますが、これは社内で使う費用となります。

すなわち内部環境です。

そのため、社内で削減を決めることが出来れば容易に削減可能です。例えば経営者の役員報酬、保険料などはその典型でしょう。

また販売管理費の削減にはコストもかかりません。

なぜならただ削減すれば良いだけだからです。

そのため事業再生初期においてはまず手をつけるところとなります。

売上原価

材料費、労務費、外注加工費、その他経費に分類されます。

労務費は自社でコントロールできる内部環境ですが、材料費、外注加工費などは外部環境の要素も含まれます。

そのため売上原価を抑える、つまり原価率を下げるのは難易度があがります。

社内で削減の方針を決めたとしても容易に削減できるものではありません。

削減のためには「仕組み」が必要となります。

例えば材料費を削減するためには、材料の歩留まり率を高め材料ロスを抑えなくてはなりません。

そのためには材料の使用方法のルールを決めたり、作業者にコスト意識を持たせたり、毎月の振り返りによるPDCAも必要になります。

また労務費を抑えるためには変動費部分である残業代を抑えることが必要ですが、そのためには所定内賃金で生産するために労働生産性の向上が必要です。

そのためにはボトルネック工程の改善、一人の作業者が他の工程作業を行えるように多能工化も進めなくてはなりません。

しかしながら材料費の単価や、外注加工費の単価を直接的にコントロールするのは難しいと言えます。

なぜなら材料費の仕入業者、外注加工費の委託先は社内ではなく社外要素だからです。

また売上原価の削減には多少のコストもかかります。

削減のための「仕組み」をつくるために、例えば多能工化などは教育コストがかかりますし、生産管理のために生産会議などを行えば人件費というコストが発生するからであります。

売上原価はこうした「仕組み」が必要でコントロールできない部分もありますが、中期的に取組めば徐々に効果の出てくるところであります。

売上高

こちらは3つの要素の中で最もコントロールが難しい要素となります。

なぜなら社内で売上高を高めると決めても、実際に売れるかどうかは社外のお客様が判断するものだからです。

また不況などの経済情勢や、今回のコロナ禍のように社会情勢に左右されることになります。

例えばアパレルメーカーでどんなにデザインや機能性の高い洋服やブランドを開発しても最終的に売れるかどうかは解りません。

食品や自動車などの業種でもどんなに魅力的と思われる新商品を開発し、広告宣伝費をかけても売れるかどうか解らないわけであります。

つまり販売管理費、売上原価は内部環境(社内)へのアプローチであるためコントロールが比較的に容易。売上高は外部環境(社外)へのアプローチとなるためコントロールが難しいということになります。

そして売上高をコントロールするためには商品開発費、広告宣伝費などの多くのコストもかかります。

まとめると次のようになります。

コントロール 即効性 コスト 環境
売上高 難しい × 外部環境
売上原価 やや難しい 外部
内部環境
販売
管理費
容易 内部環境

 

こうした理由で、事業再生初期においてはコストがかからず即効性の高い販売管理費の削減を行い、次に売上原価を削減する「仕組み」を作り、並行して売上高を高める施策を継続していきます。

効果がでるタイミングは違いますが、まず販売管理費が削減され、次に原価率が下がり、最後に売上高が増加していきます。

売上高が増え、売上原価率が下がり、販売管理費の削減されているためこの段階で利益の増加は最大となります。

これは当社が実践している事業再生におけるセオリーでありますが、結果で実証出来ているところであります。

さて、さてこうした視点より新型コロナの対策を見た場合はどうでしょうか。

次は当社の見解でありますが、売上高、売上原価、販売管理費の項目を次のように入れ替えることで説明できると考えます。

コントロール 即効性 コスト 環境
感染拡大
防止
難しい × 外部環境
医療体制
の強化
やや難しい 外部
内部環境
法制度の
改正など
容易 内部環境

感染拡大防止

新型コロナは自然現象であります。また目に見えないという特性があります。

そのため感染拡大という事象は外部環境となります。

どんなに窓際対策を徹底しても、クラスター対策を強化しても、完全に防ぎきることは出来ません。

感染拡大防止のため緊急事態宣言による自粛要請、事業者の休業要請を発出しましたが民間部門は直接的に政府がコントロールできる領域ではありません。

そのため緊急事態宣言による自粛要請、事業者の休業要請は経済的に大きなコストを必要とし、補正予算(第1号、第2号)の内36.7兆円の費用を支出しています。

しかしそれでも新型コロナの感染は完全に抑えきれていません。

外部環境の事象であるためコントロールが難しいわけであります。

効果の出にくい外部環境へのアプローチに最も重みを置いた対策であるためこれだけのコストもかかってしまったと言うこともできるのではないでしょうか。

医療体制の強化

新型コロナのワクチン開発、特効薬開発、重症者ベッドの確保、PCR検査の拡充といった対策は、国でコントロールできる部分とそうでない部分があります。

国立病院であれば直接的にコントロール可能かもしれませんが民間の医療機関はそうではありません。

これらの対策を行うためには関連省庁、医療機関のなかで「仕組み」を構築しなければなりません。

この点は売上原価の同じと言えるのではないでしょうか。

一定のコストはかかりますが、やれば効果の出やすい領域と考えるところであります。

ちなみに補正予算(第1号、第2号)57.6兆円のうちこの部分の対策費として使われたのは4.8兆円となります。

このことからも効果の出やすいところに予算を当てず効果の出にくい外部環境へのアプローチである感染防止に予算のウエイトが高いことが解ります。

法制度の改正など

こちらは販売管理費と同じく国が直接的に手を下せるところであります。

また改正にあたり法案を通す必要がありますが、他の要素と比べれば時間もかかりませんしコストもかかりません。

現実的に法案を通すには様々な手続きも必要となるのかもしれませんが要素としてはこのように言えるのではないでしょうか。

以上、外部環境へのアプローチと内部環境へのアプローチという視点で、新型コロナ対策を見てきました。

こうした視点より、効果が出にくくコストもかかる感染拡大防止という外部環境へのアプローチに政策のウエイトが高かったため、多額の補正予算が必要となってしまったのだと推測するところであります。

当社では新型コロナ対策の批判するわけではありませんし勝手な類推も含まれます。

また何が正しいかといった価値判断を議論はするつもりはありません。

あくまでも環境へのアプローチの内容が、事業再生の事例にみるような構造に似ているのではないかと言っているわけであります。

尚、8月28日の首相辞任会見と合わせ新型コロナの「対策パッケージ」が公開されました。

その内容は、「指定感染症の分類見直し」「重症者を中心に医療体制の充実」「PCR検査体制の拡充」「ワクチン開発」といった内容のものでした。

これを先ほどの要素で分けてみますと

「指定感染症の分類見直し」は「法制度の改正」でコントロールしやすい要素。

その他は、「医療体制の強化」で比較的コントロールしやすい要素と言えます。

感染拡大防止という外部環境へのアプローチから内部環境へのアプローチにシフトしているのではないかと考えられるところであります。

外出自粛要請が強力に行われた理由

閑散とした空港

日本的な組織では、全体の空気に流され同調圧力が働く場合があります。

特に「みんなで頑張ろう」という場合の同調圧力は強く、従わない場合は攻撃される場合もあります。

これは企業経営に限らず日本的組織の特徴と言えます。

具体的な例を見てみましょう。

ある企業の営業部では、ここ数か月営業予算が達成できていませんでした。

そうすると営業部長を中心に精神論を唱えはじめ「予算達成は営業マンの責務」といったことを言い始めます。

そして部長の取り巻きである課長、係長クラスも同調しはじめ営業所全体が異様な空気につつまれていきます。

「営業部を上げてがんばらなければならない」という同調圧力が働くわけであります。

そうすると定時で帰社することも難しくなります。

定時で帰社するなという指示は出ていないものの、全体の空気がそれを許さないわけであります。

もしその同調圧力に従わず帰社しようものなら、「みんなが頑張っている中、あなたは何を考えているのですか」となるわけであります。

かくして「みんなで頑張ろう」という同調圧力は強固となり、それに従わない者を攻撃するわけであります。

そしてこの場合、組織的には「営業部の予算を達成する」という目的よりも同調圧力に従うことの方が重要となります。

冷静に考えれば遅くまで社内に残っても売上が上がるわけでもなく、早く帰って十分に休息を取り翌日の営業活動をしっかり行った方がよいわけなのですが、そうした判断が出来なくなるわけであります。

しかし、この同調圧力に従っているかたの全てがこの方針に賛同しているわけではありません。

この部長の方針には納得していないながらも従わないと面倒くさいことになるからとりあえず合わせている方もいるわけであります。

こうした光景は以前にくらべ少なくなりましたがサラリーマン社会で良く見られる光景であります。

新型コロナ対策における外出自粛要請の場合はどうでしょうか。

政府や地方自治体の知事からは感染拡大防止のために外出自粛が国民にうったえかけられました。

するとマスコミも同調し外出自粛要請が日々メディア等で報道されていきます。

「医療崩壊を何としても阻止しましょう」「人との接触を8割回避しましょう」「不要不急の外出は控えるように」「高齢者のいのちをまもりましょう」といった報道であります。

そして主要都市の人口の減少状況、新幹線や飛行機の乗車状況をきめ細かく報道し、目標まであと何パーセントといった報道がなされるわけであります。

かくして感染拡大防止のために「みんなで頑張ろう」という同調圧力は社会的にも強固なものとなっていきます。

そしてこの同調圧力に従わないものを攻撃し始めます。

マスコミでは湘南の海でサーフィンをする人たちや、パチンコ店に並ぶ方々を報道し、一般市民のなかでも自粛警察たる方々が外出自粛要請に従わない方や店舗を攻撃し始めます。

「みんなで頑張っているときにけしからん」というわけであります。

実際にサーフィンやパチンコが感染拡大のリスクが高いかどうかは解りませんが、同調圧力に従うことの方が重要となるわけであります。

また、企業の事例と同じように、この同調圧力に従っているかたの全てがこの外出自粛要請に賛同しているわけではありません。

この政策には納得していないながらも従わないと面倒くさいことになるからとりあえず合わせている方もいるわけであります。

次のコメントは実際に聞いたもの、SNSやメディア等で見たものであります。

・新型コロナより人の目が怖いのでマスクをする

・外出して陽性になれば村八分にされる

・外出自粛要請に従わないと自粛警察に酷いことをされる

・帰省すれば殺人鬼扱いされる

つまり、こうした方々は実際の感染拡大よりも、同調圧力による攻撃を恐れているわけであります。

このようにして、外出自粛要請は、政府や地方自治体の要請以上に社会的な同調圧力により強固となり展開されていったと推測しています。

当社では外出自粛要請という政策を批判するわけではありませんし当社の類推も含まれます。

また何が正しいかといった価値判断を議論はするつもりはありません。

あくまでも同調圧力の内容が、企業の事例にみるような構造に似ているのではないかと言っているわけであります。

企業経営においても、事例にもあった通り、間違った方向に同調圧力が働くと本来の目的を見失い、同調圧力に従うこと自体が目的となってしまいます。

「みんなで頑張ろう」は企業経営に重要ですが、目的と手段を明確に定義しておかないとこうした状況になってしまいます。

休業要請が強力に行われた理由

休業するお店

同様に事業者における休業要請が強力に行われた理由も見ていきたいと考えます。

その理由の一つとして外出自粛要請と同じく社会的同調圧力が働いたと考えられます。

しかし違う側面からみるともう一つの理由があるように考えます。

企業組織において、何らかの理由で行動を命令できない場合、良心に訴えかけることで行動を強制的に要請することが可能です。

企業におけるサービス残業の事例で見てみましょう。

サービス残業は言うまでもなく違法です。

企業は従業員に法定労働時間を超えた分の割り増し賃金を払うことが労働基準法により定められています。

しかし会社の指示ではない業務を従業員が自主的に行った残業はどうでしょうか。

この場合、違法とはならなりません。実際に違法ではないという判例もあります。

この法律の仕組みを巧みに利用したのがブラック企業における「自主的な残業」です。

会社から公式に指示される残業は割増賃金を払わなければなりません。

しかし会社からの指示ではない「自主的な残業」は割増賃金を払わなくても良いことになります。

そのため、「良心」に訴えかけ自主的な残業を促すようにするわけであります。

例えば「働いて奉仕することは会社にとっても、お客様にとっても、自分にとっても素晴らしいこと」のような規範を社内に浸透させていきます。

そうすることで、会社の指示ではなく自主的に残業を行うように社員の行動を強制的に要請することが可能となります。

また従わなかった場合「え、君は働くことをどう考えているの」と良心を通じて批判するわけであります。

そしてこうしたブラック企業における「自主的な残業」は意外にも社員の側からの反発は強くありません。

なぜなら本人自身も「働いて奉仕することは会社にとっても、お客様にとっても、自分にとっても素晴らしいこと」と信じているためであります。

そして、こうした自主的な残業を行ってくれた、社員を褒めたり、お菓子を差し入れたり、食事に連れていってあげたりと労うわけであります。社員としては良いことやって褒められるわけですのでそれもまた嬉しいわけであります。

つまり「残業の指示」が無くても良心に訴えかけることで「自主的な残業」を促すことが可能となるわけであります。

新型コロナ対策における事業者の休業要請の場合はどうでしょうか。

事業者の休業要請は特措法に基づき、国ではなく都道府県知事が発するものとなります。

あくまで「要請」ですので事業者は従う義務はありませんし、罰則規定もありません。

しかしながらメディア等や社会的圧力を通じて良心に訴えかけ行動を強制的に要請することになります。

「医療崩壊を何としても阻止しましょう」「人との接触を8割回避しましょう」「不要不急の外出は控えるように」「高齢者のいのちをまもりましょう」というわけであります。

そしてそれに従わない事業者の実名を地方自治体が公表したり、マスコミで報道したり、自粛警察により社会的に批判するわけであります。

そうすることで「休業の命令」が無くても良心に訴えかけることで「自主的な休業」を促すことが可能となるわけであります。

しかしながら一方で、「休業と補償はセットで」といった議論もあります。

事業者からすれば当然だと言いたいわけですが、「休業は要請」ですので法的にも「補償」という概念がありません。

そこで休業要請に従ってくれた「協力金」という名目で実質の営業上の損失に見合わない額、例えば30万円とか10万円といった額を支給となるわけです。

これはブラック企業におけるお菓子を差し入れたり、食事に連れていったりといった労いに似ていると言えないでしょうか。

このようにして、事業者への休業要請は、良心への訴えかけにより強固となり展開されていったと推測しています。

当社では事業者への休業要請という政策を批判するわけではありません。

また協力金という支援策も各々の自治体の立場では最善を尽くして支援したものだと考えます。

あくまでも事業者への休業要請の状況が、ブラック企業の残業代の事例にみるような構造に結果的に似てしまっているのではないかと言っているわけであります。

企業経営においては、会社の指示ではない自主的な残業は違法とならない場合があります。

しかし自主的な残業は従業員の就業規則違反ともなりえますし、それに気づけなかった上司の責任となります。また情報漏洩のリスクや人事評価上の問題も発生します。

やはり良心に訴えかけるといった曖昧な運用は避けるべきでしょう。

「わたしたちひとりひとりが」の罠

企業におけるコンサルティングの中でもよくある話なのですが「個々の人の変革」に依存する施策は効果が薄くなります。

なぜなら「個々の人の変革」はコントロール出来ませんし、会社としての「仕組み」として対応出来ていないからであります。

そしてこの時に聞くワードが「わたしたちひとりひとりが」です。

この言葉が出てきた際には会社として何も対応できていないと考えるべきでしょう。

あるアパレルメーカーでの事例でご説明いたします。

その会社では、各部の年次目標を設定する際に経営者から「ブランドを守るためにすることは」という宿題が従業員に出されました。

その宿題の回答として最も多かったのが「わたしたちひとりひとりが、感性を高めていく」というものでした。

宿題自体も抽象的ですが、その回答も実に抽象的でどうブランドを守ることに繋がるか解らないわけであります。

具体的に何をするのかを尋ねると、美しいものをたくさん観るとか、美術館にいくといったことでした。

それによりどのように感性が高められるのか解らないわけですが、アパレル業界の企業に良く見られる事例であります。

そしてこの場合、感性を高めるということ自体も抽象的ですが、「わたしたちひとりひとりが」と言った時点で会社としての対策にはなっていません。

意味不明な「個々の人の変革」に依存しているだけだからであります。

感性を高めるというのは抽象的ではありますが会社の対策として行うのであればせめて

「色彩検定の資格を〇名が取る」

「ファッションコレクションのレポートを企画部が書く」

「VMDの外部研修を〇名に受講させる」

といった形にしなくてはなりません。

こうした事例はアパレル業界の企業だけに見られることではありません。

製造業では「不良を無くすためにはわたしたちひとりひとりが注意する」

営業の場では「わたしたちひとりひとりが努力する」

こうした「個々の人の変革」に依存する対策が実に多いわけであります。

それ自体は必要なことかもしれませんが「個々の人の変革」は会社としてコントロールできません。

人により出来る人と出来ない人がいるからであります。

コンサルタントとして見ていると、こうした言葉が出てきた瞬間に、仕組みとして対策が取れていないと考えるわけであります。

新型コロナ対策ではどうでしょうか。

メディア等の報道を通じて「わたしたちひとりひとりが」という言葉を実に多く聞いてきました。

国の専門家会議から提唱された「新しい生活様式」は結局のところ「個々の人の変革」に依存するものであります。

また外出自粛要請も結局のところ「個々の人の変革」に依存するものであります。

そのため、「医療崩壊を何としても阻止しましょう」「人との接触を8割回避しましょう」「不要不急の外出は控えるように」「高齢者のいのちをまもりましょう」といったメディア等の報道で最後に付けくわえられるのは「わたしたちひとりひとりが」という言葉であります。

こうした対策は必要なわけでありますが、「個々の人の変革」はコントロール出来ませんし、国として「仕組み」として対応出来ていない可能性があります。

一方で、仕組みを作り対応するとはどのようなものでしょうか。

新型コロナの場合は次のようなところだと考えるわけであります。

・PCR検査の拡充とクラスター対策をどのように進めるべきか

・特措法や指定感染症の分類見直しをどのようにするべきか

・休業要請と補償の問題をどのようにするべきか

・医療体制の強化をどのようにすべきか

・医療崩壊(病院の経営崩壊)をどう防ぐべきか

勿論これらのところは随時進んでいるわけでありますが、「個々の人の変革」に依存する対策の方が先行し、重要な仕組みとしての対策が遅れているのではと考えるところであります。

当社では「新しい生活様式」など「個々の人の変革」に依存する対策を批判しているわけではありません。

新型コロナという感染症の場合、そこが一番重要で最も有効な対策であるかもしれません。

あくまでも「個々の人の変革」に依存する状況が、アパレル企業の事例にみるような構造に似ているのではないかと言っているだけであります。

企業経営においては、「個々の人の変革」に依存する施策、つまり「わたしたちひとりひとりが」という言葉が出てきたら仕組みとして何も対策出来ていないと考えるべきでしょう。

「新しい生活様式」における広報の失敗

 「生活様式」という用語は、ビジネス社会に関わらず一般的には次のように使われている用語であります。以下は「wikipedia」と「コトバンク」の定義となります。

「生活様式(せいかつようしき)とは、ライフスタイル(Lifestyle)とも呼ばれ、ある社会においての成員が共通して成り立っているような生活の送り方のことを言う。より広義には、ある個人や集団あるいは文化の興味・意見・行動、および行動指向を指す/生活様式は一般に、個人の態度・生き方・価値観・世界観を反映するものである。したがって、生活様式は自己意識を養い、個人のアイデンティティと共鳴する文化的シンボルを創り出す手段である」(wikipedia)

 

生活の様式・営み方。また、人生観・価値観・習慣などを含めた個人の生き方

(コトバンク)

昨今、家具や日常雑貨、洋服をトータルに扱うライフスタイル(生活様式)ショップという業態の店舗が増えています。

このライフスタイル(生活様式)ショップでは単に生活雑貨や洋服を提案しているのではなく、そのライフスタイル(生活様式)そのものを提案し、その価値観や人生観、生活感に共感する方を顧客としています。

例えば「ナチュラル・オーガニック」をコンセプトとするライフスタイル(生活様式)ショップでは、無垢材を使った家具や、無添加の石鹸や化粧品、麻やコットンなどの天然素材を使った洋服などが中心となり、ショップ全体でその価値観や生活感を提案するわけであります。

当社でもこうしたライフスタイル(生活様式)ショップのコンサルティングを実施しています。

次は当社のライフスタイル(生活様式)ショップのブランディング勉強会の資料となります。

ライフスタイルの説明

 つまり一般的にライフスタイル(生活様式)とは「個人の人生観、価値観、習慣などを含む個人の生き方」を意味する言葉であるわけであります。

新型コロナ対策における「新しい生活様式」?

マスクをして出社する女性

こうした観点からみる新型コロナ対策における「新しい生活様式」どうでしょうか。

率直に申し上げて2つの点において問題があったと考えます。

ネーミングに失敗した

概念定義が出来ていないなかで安易に使用してしまったと考えられますが明らかにネーミングに失敗しています。なぜなら「生活様式(ライフスタイル)」は「人生観・価値観・習慣などを含めた個人の生き方」であるからであります。

いくら感染拡大防止のためと言え、政府や感染症の専門の先生方が規定できるものではありません。

またこの言葉をそのまま解釈すると、個人の思想や生き方の自由に関わる部分であります。

そうすると憲法の解釈上の問題も出てこないでしょうか。

「感染拡大防止のための生活習慣」といったネーミングあたりが適当であったと考えるわけであります。

こうした言葉の意味を知っている文化芸術関係系の方々には凄まじいインパクトがあったと考えます。

要請の「程度」の失敗

これまで何度か「程度」についてご説明してきました。

物事には「程度」というものがあります。今回の場合の「程度」とは、要請する「期間」と、「範囲」ではないでしょうか。

新しい生活様式が公表された時、メディア等の報道を通じてある専門家は「新型コロナ終息後も恒久的に実践する生活様式」と説明していたのを覚えています。

もしそうであれば、スポーツ産業、スポーツジム、ライブなどのイベント産業は死亡宣告を受けたことになるわけであります。

また「範囲」においても、少し行き過ぎていると言われているものもあります。

次はSNSなどで批判されている項目であります。

・家庭での食事は横並びに

・対面での会話を避ける

・旅行や帰省は控えめに

・買い物はオンラインを利用

・筋トレやヨガは自宅で動画を活用

期間限定の中での行動要請と捉えるならばやむを得ないものということになりますが、生活様式(ライフスタイル)として定着ということであれば確かに範囲の程度としては行き過ぎと言われてもおかしくはありません。

なぜならこれらのライフスタイル(生活様式)は個人の思想や生き方の自由に関わる部分だからであり、多くの業種の財産権を脅かす可能性があるものだからです。

そして行き過ぎた広報活動は企業のそれと同じで、結果的に評価されなくなります。

実際にTwitterなどのSNSでは「新しい生活様式」をめぐる議論が賑わっています。

また「新生活様式にNO!」といった集会も開かれるようであります。

集会のパンフレットでは国民の未来と子供達の笑顔を守るための対策が、「日本の未来と子供達の笑顔を奪う」とまで言われてしまっています。

考えた方々は真剣に国民の生命や健康のために考え作成したものであり善意で行ったものであると考えます。

しかし世の中ではそのように解釈されない現象も起きてしまうわけであります。

これは政策の内容というよりも広報の仕方に問題があったと考えるところであります。

 当社では感染拡大防止対策を批判しているわけではありません。

しかしその広報において、ネーミングと要請の程度において、問題がある可能性があるのではないかと言っているだけであります。

企業経営においても対外的な広報、社内的な広報においては、ネーミングやその中味が重要となります。

アパレル業界では「プレス(広報)」とも言われますが、商品やブランドのネーミングやキャッチコピー、またそのビジュアル的な内容が重要となります。

適切な広報活動を行うことでその効果は最大となります。

しかし間違ってしまうとその効果は極端に下がり一度外に出てしまったものは取り返しが効きません。

広報は最も慎重に行わなければなりません。

 

「努力すれば報われる」神話を崩壊させる可能性

当社(有馬)は金融機関での職業人生、コンサルタントとしての職業人生のなかで多くの経営者を見てきました。

また現在もコンサルタントとしてクライアント中小企業を支援しています。

当社(有馬)自身も規模は小さいながらも経営者であります。

そうした立場から言わせて頂くと、中小企業経営にとって絶対的に守られなければならない社会的な規律と基盤があります。

それは「努力すれば報われる」社会であることです。

現実的には、経営は努力しても報われない場合も多くあります。

どんなに良い商品を開発しても、競合他社がそれよりも良いものが開発する場合もあります。

また商品は良くても売り方が下手であれば事業は成功しません。

しかし、それでも「努力すれば報われる」という神話が必要です。

なぜなら経営者は努力の先にある希望をもとめ事業を行っているからです。

これは資本主義社会を社会的に維持する絶対条件と考えます。

しかし「努力すれば報われる」という神話が崩れる時があります。

それは「自らの力ではどうしようもない不合理で圧倒的な外部からの脅威にさらされた時」です。

そうした時、経営者の心は折れ事業の継続を断念します。

つまり倒産か廃業というわけです、最悪の場合は残された借金と生活崩壊、家庭崩壊により自殺に至る場合もあります。

逆にどんなに経済環境が厳しくても「努力すれば報われる」という神話がある限り経営者は頑張り続けます。

それが経営者というものですし日本の高度成長を支えたのもそこにあったのでしょう。

過去、「努力すれば報われる」という神話が崩れた時代がありました。

それはバブル崩壊後の不況の時代です。

そのバブル不況を脱するために政策的に出されたスローガンがありました。

それは「不良債権の解消なくして景気回復なし」といったものです。

「不良債権」とは金融機関が回収不能な融資のことを言います。

その背景にあったのは、バブル時に生じた住専や金融機関の投資不動産向けの過剰融資であります。

バブルで不動産価格が上昇する中、不動産評価を高く見積もった不動産担保融資が行われ続けました。

しかしある時をきっかけに不動産価格は下落を続け、不動産価格に見合わない融資だけが残りました。

これが金融機関の不良債権となったわけであります。

それではなぜ不良債権が問題なのでしょうか。

それは金融機関に過剰融資による不良債権があると、金融機関は健全な融資を実行できないからです。

なぜなら不良債権は金融機関のバランスシートを悪化させ自己資本比率を低下させ自己資本比率が下がると貸出が行えないからです。

難しく感じるかもしれませんが個人の貸し借りに例えれば簡単です。

もし貴方が200万円持っているとして、Aさんに100万円を貸していたとします。

しかしAさんに貸している100万円が戻ってこないことが判明しました。

この時Bさんが100万円を貸して欲しいと言ってきたらどうでしょうか。

Aさんは手持ちの100万円を貸すことに躊躇することは理解できるでしょう。

この「不良債権の解消なくして景気回復なし」という政策や考え方はマクロ経済的には正しかったのかもしれません。

住専や不動産融資に関わる不良債権は確かに処理しなければならないものであったかと考えます。

しかし実際の金融機関の不良債権は中小零細企業向けの融資も含まれます。

融資先の中小企業の業績が悪化していれば不良債権としてカウントされてしまいます。

かくして「不良債権処理」の対象は不動産融資だけではなく一般の中小企業向けの融資にも及びます。

そこで発生したのが「貸し渋り・貸しはがし」であります。

業績不振の中小企業向けの融資は不良債権となるため、貸すな、貸しはがし(回収)しろとなるわけであります。

長期の不況で売上と利益が伸ばせない中、金融機関からは「貸し渋り・貸しはがし」を要請される。

さらに社会全体のスローガンとして「不良債権処理」が叫ばれる。

その不良債権とは自分の会社であるわけです。

そして金融機関の担当者からは「借りたものは返すのが当然」と言われ厳しい回収活動を受けるわけであります。

こうした時、中小企業の経営者は圧倒的な無力感と絶望にさらされ「努力すれば報われる」という神話が崩れます。

「日々寝る暇もなく取引先やお客さんのために頑張っているのに、何も悪いことをしていないのに何故こんなに酷い仕打ちを受けるのか」となるわけであります。

そしてその時に心が折れ事業継続を断念します。

そこに待っているのは倒産か廃業です。

またさらにその先に、残された借金による多重債務、貧困、生活の崩壊、家庭崩壊があり最悪の場合は自殺にまで至るわけであります。

「半沢直樹(一期)」のドラマに半沢氏の父親が「貸し渋り・貸しはがし」にさらされ自殺するシーンがありました。

これはドラマの世界ではなく現実に起きていた世界であるわけです。

知ったような口をきくなという方もおられるかもしれません。

当社(有馬)は金融機関の現場で不良債権処理(回収)を行ってきた身であります。

こうしら現場を現実に見てきた身でもあります。

それ故、過去は金融機関の中小企業支援部にて、また現在もコンサルタントとして中小企業を支援しているわけであります。

また同じ経営者の中には、それでも「経営は自己責任」という方もおられると思います。

たしかに事業拡大を目的に何十人、何百人といった従業員を雇用している規模であれば社会的責任も大きくそう言えるかもしれません。

しかし世の中には「生業(なりわい)」という言葉もございまして、家族経営的に生活を営むことを目的に商売をされている方々も多くおられます。

数でいえばそうした個人事業者、零細企業の方が圧倒的に多いわけであります。

また、そうした個人事業者、零細企業でも地域の生活を支え、社会は成り立っているわけであります。

ここは分けて考えなくてはならないと考えるわけであります。

コロナ禍における中小企業

さてコロナ禍における中小企業はどうでしょうか。

これまでご説明してきました通り、緊急事態宣言における外出自粛要請は、消費者の生活活動を大きく制限し多くの業種で消費需要が減少し中小企業の売上が蒸発させました。

また事業者への休業要請は、飲食業、観光業、文化イベント産業などの特定業種の休業を余儀なくさせ、売上減少と固定費の負担増を招きました。

「新しい生活様式」もスポーツ産業、文化イベント産業、冠婚葬祭業の営業活動を大きく制限しています。

これはご説明してきた「二次的な被害」であります。

また今回のコロナ禍により、不況は深刻化する可能性が高く中小企業の経営環境は今後も厳しい状況に置かれる可能性が高いと言えます。

しかし、こうした経済的な損失、被害よりも深刻なものがあると危惧しています。

それは「努力すれば報われる」という神話が崩れるのではないかということです。

先ほど「自らの力ではどうしようもない不合理で圧倒的な外部からの脅威にさらされた時」その神話は崩れるとご説明しました。

今回の場合はどうでしょうか。

「不合理で圧倒的な外部からの脅威」とは新型コロナではありません。

ウィルスは単なる外部環境にすぎません。

それは、「感染拡大防止」「医療崩壊阻止」をスローガンとした事業者への休業要請、またそれに同調したメディア等の報道や社会的な圧力であります。

また自粛要請や新しい生活様式により営業活動を大きく制限された状況であります。

これは「不良債権処理なくして景気回復なし」というスローガンのもと、金融機関の不良債権として回収され処理されていった中小企業の状況とよく似ていないでしょうか。

「夜の街」と称された居酒屋やナイトクラブは感染の温床として多くのメディアで報道されました。

休業に応じないパチンコ店は自治体のホームページに実名を公表され反社会的勢力かのように扱われ、社会的な同調圧力のなかでスケープゴートにされました。

そこに並ぶお客さんたちは「ギャンブル依存症」ではと真面目に議論がなされました。

瀕死の観光業界にとって救いの政策となるはずの「GoToトラベルキャンペーン」は「まだ早い」と大々的に報道され、特定の事例を切り取って「やはりクラスターが発生」といった形で報道されます。

ガイドラインを守って営業している飲食店でも自粛警察による営業妨害を受けることがあります。

例を挙げていくときりがありませんが、「感染拡大防止」「医療崩壊阻止」をスローガンに営業することが悪のように扱われ追い込まれていくわけであります。

こうした経営者は、お店を開くために何年も下積みの努力を続け、資金を集め、多くの方の協力を得ながら事業を行っているわけであります。

ナイトクラブでもパチンコ店でもアパレルでも製造業でも銀行でも税理士でも事業内容や業種に善悪はありません。

その事業が良いか悪いかは行政や社会が判断するものではありません。

すべてはお客様が判断するわけです。

どんな業種でもお客様が来店し、売上が上がり事業が継続出来ている以上、違法でなければ社会的に必要な事業であるわけであります。

これは資本主義の原理原則です。

ナイトクラブでもそこにお客様がいて、そのお客様は来店するのを楽しみに日々働いているかもしれません。

またそこでの出会いや会話により人生が良い形で変わるお客様もいるかもしれません。

パチンコ店は非常に競争の激しい業種です。

定期的に機種の更新を行わなければなりませんし、アニメとコラボした機種なども多く登場しアミューズメントとしての文化レベルは日々進歩しています。

こうした機種を作るには工場が必要でありそこには製造業があるわけです。

こうした経済活動によって人間社会は成り立ち支えあっているわけであります。

ただ食事をして生きているだけが人間の生活ではないのです。

また「受益」と「負担」の関係で見た通り、そうした事業者や、雇用されている方の税金でこの国は成り立っているわけであります。

こうした中、やはり聞くことになったのが次の言葉です。

バブル崩壊以降は聞くことはなかったのですが、当社のクライアントのアパレル経営者から出てきました。

「日々寝る暇もなく取引先やお客さんのために頑張っているのに、何も悪いことをしていないのに何故こんなに酷い仕打ちを受けるのか」

ズバリこの言葉通りではないわけですが、内容としては同じでした。

この言葉が出てくると本当に危険な状態と考えます。

なぜなら「努力すれば報われる」という神話が崩れかけている可能性があるからです。

しかしこうした中小企業にとって今回唯一の救いであったのが政府による中小企業支援策が厚かったことであります。

緊急事態宣言に伴う外出自粛要請、事業者への休業要請、これらの施策は後に評価されない可能性があると説明してきました。

しかし実際にそうした状況に陥ってしまった状況においては非常に手厚い中小企業支援策がなされていると現場の立場からは言うことが出来ます。

具体策で言うと、上限200万円の持続化給付金、上限150万円となった持続化補助金、上限600万円の家賃支援給付金、休業における雇用調整助成金、日本政策公庫、商工中金、保証協会などによるコロナ特別融資枠、各種相談窓口の設置、租税等の猶予措置、また中小企業再生支援協議会での特定リスケスキーム、地域金融機関の迅速な対応、地方自治体独自の支援策などであります。

メディア等ではあまり報じられませんがおそらく世界トップレベルの中小企業支援策を実施しています。

確かに中小企業の損失はこうした支援策だけでは補填できないかもしれません。

また融資といった形の支援は後の返済が生じます。

それでも今を生き抜くための支援策は用意されています。

中小企業を守るという強い姿勢を感じられます。国は中小企業を見捨てていないわけであります。

当社では感染拡大防止対策を批判しているわけではありません。

また何が正しいかといった価値判断を議論はするつもりはありません。

あくまでも「努力すれば報われる」という神話が崩れるという意味において、バブル崩壊時の不良債権処理にみるような構造に似ているのではないかと危惧しているわけであります。

中小企業の皆さまにおいては確かに厳しい状況におかれています。

損失は国の支援策だけでは補えきれないかもしれません。

しかし国は中小企業を見捨ててはいません。

生き残れば先はあります。

今は何としても生き抜ぬいて頂きたいと願うところであります。

【第三部まとめ】

まとめ

以上、実際の企業経営で起きている問題をなぞりながらコロナ禍における「対策」過程での問題を見てきました。

第一部の「現状分析」

第二部の「経営判断(意思決定)」

と合わせてまとめると次のようになります。

現状分析方法の失敗

①念定義が出来ていない中、論理的に矛盾する議論を展開し

②果関係の見えない議論を行い

③リスクにおける「程度」計測のない中で議論を展開し

④結論を誘導する「現状分析」を行う

⑤予言(不安)から第二波を自己成就させ事実に対し過大反応する

⑥収益構造を理解しない中での考察により医療崩壊の本質が見えていない

経営判断(意思決定編)方法の失敗

⑦ウィルスではなく「不安」に感染しているため冷静な判断を欠き

⑧「不安」に感染しているためPDCAが回らず

⑨予算概念のない中で意思決定が議論され

⑩政策批判においてコンフリクト(感情的問題)があると類推され

⑪議論すべき問題から脱線し時間を浪費し

⑫大きく外した専門家の予測にもとづき政策判断を行う

経営対策方法の失敗

⑬政府部門の「二次的な被害」額が史上最大級となり

⑭民間部門の「二次的な被害」額が史上最大級となり

⑮国も国民も貧しくなることを前提にした対策であり

⑯受益と負担の関係から共倒れの可能性があり

⑰大型不況への扉を開いてしまった可能性があり

⑱環境へのアプローチ方法を誤った可能性があり

⑲外出自粛要請が社会的同調圧力のなかで強力に行われ

⑳良心に訴えるかたちで補償なき休業要請が強力に行われ

㉑対策は「仕組み」ではなく「個々の人の変革」に依存し

㉒「新しい生活様式」は広報上の問題があると考えられ

㉓「努力すれば報われる」社会という神話を崩壊させた可能性があった

以上のようにまとめられますが、あらかじめ申しあげしている通り、当社では全ての事象を含めてコロナ禍の問題を見ているわけではありません。

政治的、疫学的、行政手続的、法律的問題を含めれば良い点や他の問題点はあるかと存じます。

あくまで当社が見えている範囲で、企業経営で起きている問題をなぞりながら、3つの過程に分類し論じているだけであります。

そのため重要な論点が抜けているとも考えますが、執筆の主旨からご理解ください。

これらの点をご説明させて頂いたうえで包括しますと、「現状分析」を誤ると、「経営判断(意思決定)」を誤り、最終的に「対策」も誤り結果として生じる被害も大きくなっていきます。

コンサルティングでも同じ現象することがあるわけですが、今回のところでも同じことが言えるのではないでしょうか。

当社では企業におけるデューデリジェンスにおいてこのように問題点を抽出し、因果関係を整理しています。

今回は全ての事象が抽出出来ているわけではありませんが、参考までに整理しますと次のような図表となります

(各項目の番号は図表と一致しています)。

まとめの図表

またこの図表にもとづき実際のデューデリジェンスのようにコメントすると次のようになります。

「現状分析」過程では、論理的要素、数値分析要素において不足していたと考えられます。

また分析結果を誘導するような恣意的な要素もあったと考えられます。

その結果、「経営判断(意思決定)」過程では、冷静さを欠いた不安な状態での意思決定を余儀なくされ、誤認した現状分析結果に基づく意思決定もなされました。

また適切な判断を阻害するコンフリクトによる批判もあったと推測されます。

そして、「対策」過程では、誤った現状分析と意思決定より、新型コロナに対する実際のリスクより過大な対策が打たれました。

想定しているリスクが大きかったため、対策の規模は史上最大となり財政、経済上に大きな国民負担(⑬~⑰)を強いることになりました。

さらに外出自粛、休業要請の運用においては地方自治体や社会的要請もありより強力に推進されることになり運用上の問題(⑱~㉓)もありました。

こうした結果、「二次的な被害」からくる国民負担はかつてないほど甚大なものとなる可能性があります。

文中では、窮境企業に共通している次の二つの点があるとご説明しました。

一つは全体の歯車が噛み合っていないこと、もう一つはミスや判断の誤りが連鎖して、悪循環に陥っていくということが多いということであります。

上記のまとめの図表は、ミスや判断の誤りが連鎖して、悪循環に陥っていくプロセスを示したものです。

そしてその背景にはもう一つの理由である全体の歯車が噛み合っていないことがあげられます。

その内容については解りませんが図表の一番下に矢印で示しています。

尚、最後に改めて申し添えいたしますが

当社は一コンサルティング会社でありますので、政府や特定の自治体の政策を否定するものではありません。

また特定の団体や個人を否定するものでもありません。

おそらく新型コロナ対策に携わった方々は各々立場で最善の行動をしたものと考えられます。

しかし全体として、結果として良くない事象が起きてしまうのは、この二つの要因によるものだと考えます。

企業経営におきましても、どんなに優秀な人材が揃っていても、この二つの要因により窮境に陥る可能性は十分にあります。

それ故、全体の歯車が噛み合う仕組みづくりが重要なわけであります。

そしてその仕組みづくりとは、組織設計、役割定義、組織全体としてPDCAが回るビジネスプロセスであります。

特にPDCAは文中でご説明した通り思っているように回りにくいものです。

今回の当社の考察が経営や政策立案のご参考になれば幸いです。

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